Bad Birthday?

「ハッピーバースデー、レイヴン!」
未だ声変わりもしていない、幼げな少年の声と共に、クラッカーの小さな爆音と紙テープが、彼を祝福した。
現世での任務を終え、「バックヤード」深部に戻った直後の事である。
どう対応していいのか、レイヴンは混乱していた。なにぶん、このようなサプライズはあまり受けた事はない。その上、生きるために「死」を求める自分の「生まれた」事を祝われるのは、かなり複雑な気分だ。
立ち尽くし、クラッカーの煙も収まる頃、慌てて少年――「あの男」は、そのクラッカーを下げた。
「……どう、なさいましたか? 貴方様の柄では無い。一体、何の心変わりが?」
「ん、あ、いや。若返った反動かな。少し、能動的になっているようだ」
冷静さを取り戻した「あの男」はクラッカーをしまい、レイヴンを見上げて少し微笑んだ。
「とにかく、君を少しでも楽しませたかったんだ。もしかして、いらなかったかな?」
おどけるように言う「あの男」。レイヴンはその様にふっと笑う。
ビシッ。
「……?」
怪訝な顔をし、レイヴンはその奇妙な音を探していた。
ビシッ、ビシ、ビシビシビシ……。
辺りを見渡し、そしてすぐにその正体は見えた。
物陰の後ろ。
そこから、半分だけ顔を出し、昔あったジャパニメーションの如くハンカチを噛み、地団駄を踏み、嫉妬のような憎悪のような、とにかく確定的に明らかなネガティブ感情を剥き出しにしている、赤い楽師の女の姿。
つまるところ、イノである。
「あのクソ野郎……」
と、小声で穏やかでない呪詛を吐き、更に言い募った。
「アタシは『あの御方』に、誕生日の事すら忘れられてたのに……せっかく祝われたってのに、何だよあの反応は……変態カラス仮面野郎めッ、(ピー)の(ピー)で(ピー)のクセに、(ピー)っ、(ピー)っ……!」
以下、放送禁止用語。
イノからつい、と視線を逸らし、目の前――というより目の下にいる主へと顔を向ける。
「レイヴン?」
「……いえ、何でもありません。肩に蝿がとまったようなので」
「そう……。
じゃあ、僕はちょっとやるべき事があるから、それが終わったらちゃんと――」
「御心遣いはありがたいのですが、その……支障を来さない程度で」
「分かってるよ。それじゃあ」
手を振って赤い地平線へと駆け去る主の背へ、ぎこちなく手を振り返す。
完全に見えなくなった時、ふと足元にクラッカーが吐き出した紙テープの残骸やらが散らばってるのに気づいた。
これを拾おうとして地面に手を伸ばし、
ズドッ。
その上から、赤いブーツが勢いよく追随する。
「気持ちッ……!」
いい、の最後を必死に飲みこみ、快楽に吊られた口元を不快に下げ、敵意の眼差しを上に向ける。
そこには、彼と同じく口元を曲げ、嫉妬に濡れた眼光で見下げるイノがいた。
「どういうつもりだ」
静かに怒気を含ませ発した声。彼女はその声で汚れたといった感じで耳を掻き、ドスの効いた声色で返した。
「アァ? テメーの一人遊びのお手伝いをしようと思ったんだよ。この不能野郎」
「貴様の助力は逆に萎える。
それにこれが助力というのならば、貴様の卑俗な痛みを快楽へ昇華してから言え」
「ッ……!」
噛みしめた歯がギチギチと震え、イノは吠えの形に唇を裂いた。
だが、何の声も発さずに開いた口を噛み砕くと、憤怒を何にも当たり散らさず、足音も歩幅も大きく早足でレイヴンから離れていく。
「……一体、何だ?」
イノは平常なら気が済むまで自分を罵倒する。
しかし、その予想外の動きにレイヴンは首をかしげていた。


自分の部屋に戻り、マントを外し、机とつがいのイスを引いてマントをかけた。
仮面は固定鋲を取り外して机の上に置いておく。
レイヴンがバックヤードへ戻った時とは違う場所である。
「バックヤード」で建てた建物の中の一室にあてられたレイヴンの部屋は、簡素な造りになっていた。
扉のすぐ左にベッドがあり、右奥の隅にぽつりとある机とイス。少しの間を置いた手前にあるのはクローゼットとゴミ箱である。
マントを脱いだ後、机の引き出しから本を取り出そうとする。
引き出しを引き、中身を見るより先に引き出しの中に手を突っこみ――
ガチッ!
「!」
指先を噛まれる感覚。
慌てて手を引くと、人さし指と中指に喰いつくネズミ捕りが釣れた。
「……イノか!」
怒声を上げ、ネズミ捕りを力まかせに引き剥がした。
血と皮が付着したネズミ捕りをゴミ箱にぶちこみ、虚しい金属音が部屋に響く。
扉を開け、イノの部屋へ行って説教でもかまそうと一歩を踏み出した時、更なるトラップが作動した。
がごんっ。くわんくわんくわんくわんくわくわくわわわわ……。
息巻くレイヴンをあざ笑うかのように、自分の頭に落ちたタライは床で回りつつ金属音を出す。
ぶるぶると、余震のように震え出した。歯が軋み、頭に血が上っていく。
そして、爆発。
「あの痴女がッ! 今までは『あの御方』の制止のお言葉があったが、こうまでつけ上がるのは我慢の限界だッ!
許せん……絶対に屈服させて蹴り上げて麻袋に詰めて川に流してやる。あるいは段ボールに押しこんで警察機構に送りこんでやる。着払いでな……」
恐ろしいような恐ろしくないような罰を呪詛のように吐きながら、レイヴンは廊下を駆けて最初の角を曲がり――踏み止まる。
駆けたままのペースだと、恐らくひっかかったであろうバナナの皮を摘んで、邪魔にならないところへ投げ捨てた。
「ワンパターン過ぎるな。あの女の頭の中には隠語と音楽の事しかない――」
のだろう、と続けようとして、それは制止される。
バナナの皮につけられた糸は、投げられてぴんと張りつめた。
そしてそれに繋がっていたのは、「あの男」が使用したのと同じ、クラッカー。
レイヴンに銃口を向け、小さな爆発音と共に飛び出したのは、紙テープや紙吹雪ではなかった。
切り開かれて入れ替えられたのだろう。硝煙にも似た臭いと共に茶色の粉が降りかかる。
「――ッ、げっ、げほっ! このっ……!」
コショウに鼻腔をくすぐられ、クシャミが出た。
「二段トラップとは、姑息な真似をするな。
だが、とうに見切った! 低次元な罠など、私にかかれば……」
そこで言葉を切り、精神を集中させた。
風が凝固し、見えない形を為してゆく。今にでも逃げ出そうと荒ぶるそれを抑え、調教し、高圧の塊は緑色の法力を帯びて巨大な猟犬となる。
「行け!」
手は眼前の遥か先を指し、指示を受けた風は廊下を猛進する。
高圧の風は物体と等しい。罠はその囮役に襲いかかるも、荒れ狂う風が弾き返した。
幾多の罠を跳ね飛ばす風は、やがて唐突に勢いをなくした。
「……これくらいでいいだろう」
レイヴンの意志で風は消失し、ただの空気へと還る。
目の前に広がるのは、糸一本から砕けた像、大小や形状、有害無害の物の一切の分別なく張られた罠の無惨な末路。
この片づけは後々イノにやらせようと己の内で決定し、足下にあるトラバサミを足でのけて進む。
真っ直ぐ進んで、行き止まりを左手に曲がればイノの部屋だ。
脳内にある地図を広げて確かめて、油断も迷いもない足取りで目的地へ向かった。


「全く、あの女は……どこにいる?」
誰もいない部屋で独りぼやいた。
イノの部屋は難なく辿り着いた。しかし、そこには赤い人影はなく、国境も時代も超えて集ったギターやドラム、楽譜やマイク等様々な音楽用具が雑多に取りそろえていた。
もしかしたら隠れているのかもしれないと思い物陰を探すも、いない。いつも身につけているイノ愛用のマレーネがないところから察するに、ここではないどこかに潜んでいるのだろう。
深く暗いため息を出してレイヴンは踵を返した。
ドアを開き、廊下の惨状に再びため息。
とにかくあの女を捜し出し、屈服させよう。
そう思ってレイヴンはしばらく進む。が、最初の曲がり角に差しかかった所で異変は起きた。
左に体の向きを変えたその瞬間、
液体が体にぶちまかれ、一瞬思考と呼吸が停止した。
「あっはははははははッ! ザマぁねえなぁ!
やっぱりアタシの部屋に立ち寄ったな、ストーカー野郎!」
バケツの中身を投射した姿勢のまま、イノが嘲笑する。
中身は水ではなかった。地面に垂れる色は黄金で、ぬらりとした感触がする。
「この……餓鬼がッ!」
イノを殴る。感情的、暴力的なその行為を働くために一歩を踏み出した。
体が、ぐらりと前に傾く。
「――っ!」
突然の出来事に反射で手を前に伸ばす。
手が床に触れた。その時、体に染みこんでいた液体は潤滑剤となり、手は床を横に滑る。
結果、手は体を支える意味を為さず、体は強かに床へ叩きつけられる。
頭の針が床に突き刺さり、平坦に均されたそれを僅かに穿つ。その時の振動が直に脳を貫き、軽い脳震盪の痛みを与えた。
ぶれる視界の隅でちらりと映った赤いブーツ。それはすぐに足早に去っていき、視界から逃れた。
それを追うため急いで立ち上がろうとする。が、床に着けた手は垂直に立たずに横へ滑る。
と、そこで自分にかけられた液体は油なのだと気づいた。
急ぐ心を抑え、手が滑らないように注意しながら立ち上がる。そして赤いブーツの去って行ったところへ足を向けた。
「――レイヴン?」
しかし、背後で自分を呼ぶ声がした。
苛立ちを無理矢理消し去り、憤怒の顔をなだめて振り向く。
レイヴンが振り向いた先では、「あの男」が優しく微笑みかけていた。
「ああ、呼ぶ手間が省けたね。
今呼ぼうと思ったんだけれど……それにしても、随分濡れているね?」
「気にしなくても結構です。それより、一体、何用でしょうか?」
「用という程の事でもないんだよ。ちょっと来てもらいたいんだ」
一体、何なのだろうか? 疑問を胸に膨らませながらも、「あの男」に導かれるまま、右へ左へ廊下を曲がる。
やがて二人は部屋に到着し、「あの男」扉を開いた途端、
「……何ですか? それは?」
レイヴンの第一声は、それだった。
目に飛びこんできたのは、テーブルの上で燃え盛る、やけに縦に長い炎。
いや、それは炎ではない。何故炎と思えたのかは、小さな火が密集して構成されていたからだ。
よくよく見ると、その火の一つ一つは蝋燭の先に灯っている。さらにその蝋燭は、白い山盛りの何かに突き刺さっている。
しかし、それ以上の情報は分からなかった。
視界を両断するようにそびえ立つ火の山を前に呆然としていると、「あの男」は先程の問いに答えた。
「ケーキだよ」
「…………それにしては、随分と、その、長いと言いますか、」
「言い淀むのも無理はないね。ちょっと頑張り過ぎたみたいで、僕達全員でも食べきれるかどうか。
あ、そうそう。君の年齢分かどうかはちょっと分からないけど、とりあえず蝋燭を千本立ててみたよ」
「千ッ……!?」
「まあとにかく、蝋燭の火を消してみてよ、レイヴン。
これだけの数だから、一息に、なんて言わないよ。法力を使ってもいい。
僕も、蝋燭を立てたのは法力を使っての事だったから」
促され、少し渋りながらもレイヴンは目の前に立ち塞がる山――もとい、ケーキと向かい合う。
轟、と燃える火の群を見て、必要な風力を計算した。
たかだかケーキごときに、とは自分でも思っているが、主が時間を割いてまで作ったケーキである。必要以上の風で倒れそうな程不安定なタワー型なのだから、なるべくは倒壊させないように細心の注意を払おう。
すっ、と意識が研ぎ澄まされる。
「……ッ」
声にならない声を上げ、指示を与えられた風がケーキを撫でた。
火はなぶられ、揺られ、最後はしぼむ。火の中には大気に逃げた残り火もあったが、そのほとんどはすぐに消え果てる。
次々に火のベールが無くなっていき、ついにはケーキが本来の姿を見せた。
それを見ると、レイヴンは安堵のため息をつく。そして「あの男」に向き直り、一礼する。
「このような感じで、よろしかったでしょうか?」
「ああ。いいよ。
それじゃあ、他の全員をここに呼――」
と。
「あの男」は硬直した。
レイヴンは、何か不備があったのかと振り向く。
そして、同じように硬直した。
別に、ケーキに何の不備はない。
そう、ケーキには。
レイヴンの背中。
そこには、ケーキの火が飛び火して轟々と燃え盛っていた。
恐らく前途の油が原因なのだろうが、考えている暇はない!
背中の火は着々とマントを燃やし、ついには油の湿りが多い体の前面に燃え移った!
「ンギモヂィィィィイイィィィィィッ!」
思わず歓喜に叫び、理性を捨てて転げ回る。
「ああッ! レイヴンっ、そっちはッ!」
制止は一瞬、遅かった。
レイヴンがケーキの乗っているテーブルに衝突すると、不安定なケーキは呆気なくレイヴンの上に降り注いだ。


「――申し開きもありません……ッ!」
ケーキを処理し、服が燃えたレイヴンの着替えが終わった後の事。
着替えは、両腕の露出した黒い服に、黒いジーンズを穿いた姿である。
その格好で「あの男」に土下座をしており、当の本人は困惑してレイヴンを見ていた。
「別にいいよ。あれは不慮の事故だったんだし、僕は君を責めるつもりじゃないんだ」
「ですが、私があれを壊したという事実は変わりません」
「確かにそうだ。けれど、君に非はない。
僕は君を許している。だから、顔を上げて、今日は休んでいてくれ」
そこでようやくレイヴンが顔を上げる。
口元は苦々しく引き下げられ、眉根は後悔の皺を刻んでいた。
その表情のまま立ち上がり、生気のない足取りで部屋から逃げるように去っていく。
扉が閉まり、自分の足元を見た。
自分への憤りに、握った拳が震える。だが、そのやり場はない。
普通の人間ならば物に当たり散らすか、自傷行為に走るだろう。
しかし彼は、物に当たり散らす程子供じみていない。そして自傷行為は、彼にとって罰として意味をなさない。
レイヴンは猛省し、そして頭を抱えた。
「ザマぁねぇなぁ」
その時聞こえた声は、レイヴンに追い打ちをかけるかのようなタイミングで彼の割れた心に入りこんだ。
ほんの一メートル程の離れにいたイノは、震える笑みを浮かべていた。それを嘲笑と受け取ったレイヴンはギリ、と奥歯で怒りを噛み殺そうとする。
「せっかく『あの御方』が作ったケーキをブチ壊すなんざ、アタシにはとても考えられない真似をするなぁ。
さすがの変態カラスは発想も違うみてぇだな。それで、そうやって自分を責めるっていう新しいタイプの自慰行為か?」
――ダンッ!
衝撃。
壁に拳を強かに叩きつけ、辺りが一気に冷め、静かになった。
「貴様はッ……!」
怒りに歪む顔を押し下げ、イノに向けて声を絞り出す。
だが、その声の続きが見当たらなかった。
見当たらないまま、時間は落ちるように過ぎていき、レイヴンが顔を上げるとすでにイノの姿はいなかった。
代わりにあるのは、イノのいた場所にある一通の封筒だけだった。
破ってやろうと拾い上げ、それと同時に背後で扉の開く音がする。
振り返ると、そこにはやはり「あの男」がいた。
レイヴンの手元にある手紙を見て、何かを悟った「あの男」はぽつりと零した。
「イノと、会ったんだね?」
「……ええ。帰った時から何度も顔を見せていました」
吐き棄てるように、レイヴン。「あの男」は少し悲しげに語り始める。
「実はね、レイヴンを祝おうと最初に思ったのは僕じゃない。イノなんだ」
「え――」
突然の事実に言葉を失った。
「あの男」はそれを横目に苦笑し、続ける。
「ごめん、実は僕は、君の誕生日の事なんか忘れていたんだ。
けれど、イノが君の誕生日を覚えていて、それで、僕に祝ってくれって頼んできて、それでやったんだ」
「……それならば、何故イノ自身がやらなかったのですか?」
「君がイノが嫌いなのは、勿論彼女も分かっていた。
君を祝って喜ばせるには自分は不適任だ、と思ったんだろうね。
クラッカーもケーキも、イノが現世で調達した物なんだよ。
――イノは、あまり喜ばない君を憎んでいたようだけれど」
「…………」
所在なさげに視線を動かし、ふと封筒に視線を向けた。
恐らく中には、イノの手紙が入っているだろう。その意味を思い返し、レイヴンはふっと目蓋を閉じ逡巡する。
そして目蓋を開けた時には、イノの時のように「あの男」はいなくなっていた。


自分の部屋に戻り、扉を閉じ。
封筒を机に投げ、とりあえずベッドの上に身を投げ出した。
手紙を見るには、あの一件があるため見るのが辛い。
かといって破り捨てるという選択肢はない。
長い決意の間を置いて、ようやくレイヴンは封筒に手を伸ばした。
封を切り、中にある手紙を取り出す。三つ折りにされたそれを開くと、殴り書きの筆跡が目に飛びこんだ。


『拝啓なんたら、元気かクソ野郎
ハッピーバースデーだか何だか言えねえが、とりあえずテメーの生まれた日だ
テメー自身忘れてるだろ。だが一応感謝しろよ
テメーの好きな痛みを感じれて、「あの御方」と出会えて、このアタシと出会えた起源の日だからな
ウマい事は言えねえし、テメーにこんな手紙書いてる自体ムズ痒いからこれでシメる
甘き死が訪れるように――』


ふっ、と笑う。
先程の行為すら可愛げに見えるような感動する文章を期待していたのだが、楽師に文筆の才を求めるのは酷だろう。
だが、雲が晴れたように、沈んでいた心が幾分かましになったのは明らかだった。
手紙を封筒に戻し、眠りに着こうとした時、ふと封筒からもう一つの手紙が床に落ちる。
また何かあるのか、とレイヴンが手にして一行だけ読み、緩んだままの口元が、痙攣のように引きつった。


『PS この手紙を読み終わると自動的に法力で爆発が作動する』


爆発と怒号が、建物内に痛く響いた。



彼女は本当に、レイヴンを祝うつもりだったのか。
それは、彼女以外分からない。