嵐の陽 おまけ

ぱちり、と夜闇の中で薪が爆ぜる。
そしてその薪をぐるりと取り囲んでいるのは、十八本もの木串に刺さった兎の肉。
串を伝う肉汁が照るを見て思わず唾がこみあげ、ごくりと大きな音を立てて嚥下する。
シンは今、火の番をしていた。
彼と旅をしているソルは、食用の野草を採りに出かけている。シンにとっては肉さえ食べられれば異存はないのだが、肉ばかり食べている食生活についてカイから「健康的でない」云々の説教があったために、近頃は野草も食している。
最初は「野草なんて苦くて不味いだけだろ」と文句を言ったのだが、すぐさまソルの鉄拳が飛んできたので、以後そういった発言はつつしむ事にした。
「――それにしてもおっせーな。このままだとせっかくの肉が焦げちまうぜ」
美味しそうな匂いを漂わせる肉に目を向け、シンがぼやく。
見たところ、今が食べごろだ。控え目な焼き目が全体的にあり、ミディアム・レアの状態であった。
「…………」
それを見ていたシンの頭の中で、悪魔と天使の囁きが聞こえてくる。
(別にいいじゃねぇか。おせぇオヤジが悪いんだ。それに肉を焦がしたら兎に申し訳ねえだろ? 食っちまえよ!)
(駄目だ! 肉が減ってるのを見たら、絶対オヤジが気づいちまう! そうなるとどやされるどころの騒ぎじゃねぇぞ!)
(おい、見ろよ! こんなに美味しそうな肉、今食わねえと、あとでコゲた肉食うことになって後悔しちまうぜ!)
(だとしても、オヤジの鉄拳の威力は前ので覚えただろ? また鉄拳食らいたいのかよ!?)
「うぅぅううううううぅぅぅぅぅー!」
シンは善悪の境界に立たされ、頭を抱え大いに困惑する。
だが、本能に根ざした「みなぎる食欲」に勝てず――、
「……ちょ、ちょっとだけだ……!」
ついに、串に手を伸ばした。
恐怖と期待で震える腕がゆっくりと接近し、指が串に絡みつき、ひと思いに肉へ歯を立てる。
「うっめー!」
思わず声を上げた。
その後も肉にかじりつき、塩胡椒が濃厚な肉汁と共に舌へ落ちるたび、シンは歓喜の声を上げる。
すぐに一本分の肉を平らげたシンは、周囲を見回し、ソルの姿がないことを確認して、にやりと笑った。
「もうちょっと食っても、いいよな?」
返答者のない確認をつぶやいて、再びシンが串を取る。
そして、これまたすぐに肉を平らげ、三度目となる魔の手を伸ばすのだが。
「おい、シン」
「ひゃいっ!?」
シンは奇妙な鳴き声を発した後、ゆっくりと後ろを振り返る。
そこには、腕に野草を山盛りに抱えた、赤い人影――ソルの姿。
ソルは無言で、無表情で、火を囲む串の数を数えた。
十六本。確か、自分が用意した串は十八本である。そして、シンの近くに散らばる、肉のない串が二本。
結論は分かりきっていた。だが、ソルはただただ無表情を保ち、シンに問いかける。
「食ったか?」
「い、いいいいいや、ンなわきゃねーだろ! もう子供じゃねえんだし、そんな、つまみ食いなんて」
そう言うシンの目は泳ぎまくり、動揺しているのか膝ががくがくと震えていた。
ソルは当然、自分がいなくなった間に起きた出来事を的確に推測したのだが、あえて口には出さず、野草をそのへんに置く。
「……オヤジ?」
てっきり殴られると思い体を丸めていたシンは、その警戒を解いて胸を撫でおろす。どうやら危機を脱したのだと、シン本人は判断したようだ。
ソルはシンの隣で胡座をかき、コートの下から水筒を取り出した。
「飲むか?」
「ああ。ちょっと緊張してノドが渇いてたんだ」
「緊張?」
「……! い、いや! いや、火のせいで暑くて汗かいたんだ! 怒られると思って緊張してたワケじゃねえぞ!」
苦しい言い訳をするシンに、ソルは無言を保って水筒を押しつけた。
シンはソルの手から水筒を取ると、フタを外してから一気に飲む。
口から少しこぼれた水の筋をぬぐってから、シンはソルに向かって問いを発した。
「なあ、明日はどこ行くんだ?」
「しばらく道を歩く。地図の通りなら、夕方ごろには放棄された古城が見えるはずだ。
賞金首や盗賊がねぐらにしてるかもしれねえし、もしかしたらGEARが巣くっているかもしれねえ。どちらにしろ、寄る価値はありそうだ」
「城か……ひさびさに雨に濡れる心配しなくていいな!」
「……感想はそれだけか」
「ん? 他になんかあるのか?」
「話から離れるが、シン。お前、オレの用意した肉食っただろうが」
ピシッ。
シンの動きが、音を立てて止まる。
しばらく硬直していたが、シンはゆっくりと口を開き、報われない自己弁護を展開しようとした。
しかし――、
「オレが食った」
シンの意志を裏切り出た発言に、シン自身が一番驚愕した。
「ほう……」
すうっ、とソルの目が鋭く尖り、背後から怒りの「何か」――いわゆる「オーラ」だろう――が立ち昇る。
「何本食った?」
「二本だ――って、いや違う! オヤジ、これは、その、あれだな」
「旨かったか?」
「すっげえウマかった――って、これも違うんだ! なんだ、どうしたんだよオレ! 口が……いうコトきかねーぞ!?」
ソルは指をポキポキと鳴らしつつ、鋭い視線で水筒を指した。
「あの水筒に自白剤を入れた。イノやレイヴンと遭遇した時に、ヤロウの居場所を吐かせるためにと思ってな」
「おい、オヤジ! お、オレはその、イノでもレイヴンでもねえぞ!?」
「テメェに自白剤を盛ったのは、ちゃんと効くかどうか『実験』するためだ。
なにせ、あのトンデモ闇医者を強請って奪ったヤツだ。効果があるか疑ったが――どうやらただの疑心暗鬼だったようだな」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! たった二本だ! 二本くらい、ほんのちょっとじゃねえか!」
「おい、シン」
「な、なんだよ!?」
「テメェ、今一番やられたくねえコトはなんだ?」
「殴られることだ!」
シンの口が、やはり意志を裏切ってきっぱりと心情を吐き――。
ソルは、必殺の拳を握りしめた。



ソルの何十発ものコンビネーションにノックダウンしたシンが目覚めたのは、その翌日の深夜だったという。