Hawk's nail

今日は、実に和やかな一日だ。
流石にこのような起伏のない日々が続くのは退屈だが、あの者に脅かされる生活を続ければ、このような何事もない日も悪くないと感じる。
ティー・カップを片手に、幸福なため息を吐いた。
「嗚呼……素晴らしい時間だ」
つぶやき、赤みがかった琥珀色の特注ローズヒップ・ティーを傾かせる。
とある文献でその存在を知り、お忍びで茶屋に作らせた物だ。一度飲んだ時からのお気に入りで、最近はこればかり飲んでいる。
カチャ、と陶器同士が音色を奏で、取っ手に絡んでいた細く長い指が離れた。
ティー・セットの隣には、面積の広い陶器に盛られたクッキーがある。常人からすればクランベリーか何かを混ぜたのだろうという赤みが、クッキーに色づけされている。
赤い「それ」を指でつまみ、口に運ぶ。口腔に広がる満ち足りた感覚に思わず頬が緩み、再びため息を吐いた。
「本当に……素晴らしい時間だ」
特別な人間のためにあつらえられた、木と革と鉄でできた椅子に腰かけ、彼がゆっくりと思案する。
――私は、何故普通の人間として生きられなかったのだろうか?
その一点が、彼の口角から笑みを奪った。
自分には能力があった。普通の人間とは違う、並外れた能力があった。
普通の人間が垂涎するような、その能力。だが彼は、それに今、苦悩していた。
――「神」が自分を選ばなければ、私は普通に生き、それを享受して、幸せに死んでいただろう。
だが、現実は違う。
俗世と隔離された場所で日々を孤独に過ごし、時々会うある女性と少しだけ会話をし、ただ上から与えられる仕事をこなす。その上、最近では昔のように戦う事が少なくなってきた。
――若い頃は「騎士」だったからか……結局、荒事を求めているのだな……。
先程とは毛色の違うため息を吐き、彼は顔を曇らせる。
自然と険しい顔になっていく彼を見て、慰めるように二羽の鳥が跳ねて近づいてきた。
彼はそれに気づくと、また笑みを取り戻し、その二羽につぶやく。





「シュヴァルツヴォルケン、もう少し強く絞めてくれ」
レイヴンがそう言うと、シュヴァルツヴォルケンはガアッ、と返事をする。
彼女たちが準備をする間、レイヴンはティー・カップを手に取った。
常人が飲めば胃が爛れる酸性値のローズヒップ・ティーは、当然レイヴンの胃も融かしていく。その際に生じる苦痛に、喉の奥から「……くうっ……」と嬉しそうな声を出す。
次に、赤いクッキーに手を伸ばす。これに混ぜられているのはクランベリーではなく唐辛子だ。辛味の刺激は、味覚ではなく痛覚に分類される。ローズヒップで爛れた口内に、カプサイシンが容赦なく苦痛をもたらした。
そうしている間に、準備はできたようだった。クチバシで椅子に取りつけられた鉄製のバルブを回すと、ギュッ、ギュッという音と共に脚の付け根が締めつけられる。
罪人用に造られた処刑椅子だ。脚部を絞めるための革紐が両脇に設けられており、更にその革紐の内側にはノコギリのような棘が隙間なく縫いつけられている。バルブの動きは革紐と連動しており、回すごとに革紐の円周が狭まる仕組みである。
「気持ち良い……!」
思わず、喘ぐ。
苦痛を一身に受けているレイヴンは、うっとりとした表情で囁いた。
「嗚呼、素晴らしいな。あの売女はもうしばらくは任務で帰還しない。お陰でこの至福の時間を脅かされる事も、下品な会話を振られる事もない。
しかし、まだ仕事がある……『あの御方』からの命とはいえ、事務ばかりというのは流石に退屈だ。争い事も、今は隠密にするようにと仰っていたからな……」
レイヴンの独白と、締めつけられる音が響く「バックヤード」の深部。
その奇妙な独り茶会は、数十分後に帰還したイノによって打ち破られたという。