「破壊」と「死」は違う。
例えば、そこにある機構が壊されて動かなくなった。
それは「破壊」だ。
例えば、ここにいる藪犬が殺されて動かなくなった。
これは「死」だ。
その違い。
命の違い。
それは、まだ感情としての理解は行き届いてはいないかもしれないが、
ただ「違う」という確信が、彼女の中で息づいていた。
しかし。
「『生』と『死』の違いなんて、考えるまでもないよ」
押しつけられた設問に、ラムレザルが解答した。
「心臓が動ける状態が『生』、動けない状態が『死』だ」
そう聞いたレイヴンは、挑発的に首を傾げて彼女を見据えた。
「どうかなぁ?」
ソル一行は、先を明かさぬレイヴンの誘導により、行き先の不明な旅路を辿っていた。
その道中。
この原野。
空腹を訴えるシンの提案で、一行は食事を兼ねた休憩に入った。
ソルとシンは食料調達に出掛け、
ラムレザルは炊事の為に焚いた火と、そして不審人物であるレイヴンの番をしていた。
ラムレザルはただ口を「へ」の字に閉じ、二人の帰りを待っていたが、
退屈を嫌ったレイヴンは、彼自身を嫌うラムレザルに問答をしかけたのだ。
自分の答えを暗に否定されたラムレザルは、表情を険しくしてレイヴンを睨んだ。
だがその敵意を気に留めず、レイヴンは平然と続ける。
「前のヴァレンタインは、『生』も『死』も平等に意味はない、と言っていたが」
「私はラムレザル=ヴァレンタイン。
きっと、多分、見た事のない『初代ヴァレンタイン』とは違う」
「ではお前は、『生』と『死』の違いが、何故心臓の動きの違いになると考えた?」
「人間にとって、それが『生』と『死』の判断材料だと聞いた。
実際、心臓は生命活動にとって重要な臓器だよ。
その活動が停止すれば、生きる事ができなくなる」
「確かに。多くの国の法律では心臓が止まれば死んだ事になる。
そして、お前の考えもそれに同意すると?」
「肯定するよ」
「ではそれを踏まえて、踏みこんで問おう。
もし、心臓を抉れば?」
「死ぬ」
即答。
その単純明快な答えを聞いたレイヴンは、口角を不吉に吊り上げた。
横たわる三日月の模り。
ラムレザルはその怪笑に怖気が走り、思わず目を逸らす。
刹那。
レイヴンは手を鳥趾のように構えると、
胸に指を突き立て、
己の胸骨と肉を掻き分け、
心臓を体内から引きずり出した。
噴出する血は、地面を鮮やかな紅に染め立てる。
横目にその光景を見たラムレザルは嫌悪感を露わにし、
快楽に息を荒げるレイヴンに、制止の声を上げた。
「止めろ」
レイヴンはその声を受け、手にある心臓を握り潰した。
「――ィィッ――!」
己の血が纏わりつく腕を下ろす。
胸の虚穴を風に晒しながら、肉体の再生を待つ。
常人ならば確実に死に至る状態の中、
レイヴンは、不敵な笑みで問いかける。
「私は死んでいるか?」
「……私の答えを否定する為に、そんな事をしたの?」
やれやれと、頭を振って「呆れ」をわざと見せつける。
しかし、未だ横目でいるラムレザルには、その光景は届かない。
声色に嫌らしさを載せて返す。
「平凡な答えだ。とてもつまらないじゃぁないか」
「私はお前の退屈しのぎの玩具じゃない」
「そう返すか。ならば今のお前は『不快』を感じるのか」
――前のお前は感情がないはずだったろうに?
厭らしく笑うレイヴンに、ラムレザルが歯を剥いて敵意を表した。
「前にお前の事を『嫌い』と言ったけど、訂正する。
お前、『すごく嫌い』だ」
その言葉を受けて、よりレイヴンは笑みを濃くした。
「だろうな」
レイヴンの空いた胸は、会話の間に肉が寄り集まって再生する。
肉の蠢く音が聞こえなくなり、ラムレザルはようやく彼に向き合った。
「この話は終わり?」
「終わりにしてもいい、そして続けてもいい」
「じゃあ、終わりだ。お前と話したくない」
そして互いに口をつぐみ、ラムレザルは焚き火に視線を注いだ。
監視しなければならないレイヴンは、視界のほんの隅に置いておくだけにする。
だが、彼から預けられた問いは、自然彼女の中に残っている。
「生」と「死」。その違い。
とまれ、「心拍の有無」こそが「生死」という考えは、苦々しいが撤回する。
生命という事の詳細は分からないが、それは温かく、柔らかく、尊いもののはず。
確かに、生命は心臓だけの存在じゃない。
きっとそれ以外に、答えがあるはずだ。
生命。生物。例えば、「人」。
そこで彼女が思い浮かべたのは、シンだった。
シンは今、生きている。
間違いなく、生きている。
死んでなど、いない。
では、それから考えれば、
シンが死ぬ、とは?
――――ッ。
胸が絞められたような、不愉快な感覚が走る。
これ以上を考えてしまえば、より不愉快な気分になるだろう。
その推測から、「死」について考える事をやめようとする。
だが、疑問を貪る好奇心は、構わず思考に鞭を打った。
……例えば。
この旅の果てで、化け物が待ち構えていたとして。
シンが戦って、負けてしまったら。
そこから、死んでしまうかもしれない。
どこからが、生きていて、
どこからが、死んでいる?
――ッ。
戦っている時は生きている。
だって、シンはこれまでも戦ってきた。
その中で、生きてこられた。
負けたら、死ぬ?
いや。シンがこれまでソルに挑んで、負けた場面は見かけてきた。
生きてる。負けても、生きる事がある。
傷ついたら、死ぬ?
……いや。シンは何回も傷を負ってきた。それでも生きている。
じゃあ――シンが、どんな風に傷ついたら――?
――ッ!
ラムレザルは頭を抱えた。
彼女は決して、断じて、シンの死を望まない。
だが、「生」と「死」の違いを追求する題材に、シンを選んでしまった。
そこから先に考えを進める事に、触れてはいけない禁忌を感じた。
ラムレザルは「生」と「死」を捨て、無理矢理別の事を考え出す。
ソルとシンはどうしている?
死んでは――いない。いるものか。
きっと、いつも通り兎を追っているだけだ。
絶対、日が沈むまでには戻ってくる。
食料を持って帰ってくるだろう。
空腹のシンは早く早くと騒ぎ立て、それをソルが小突いたりして。
そして、ご飯の支度をする。
きっとソルが兎を肉に仕立て、シンと彼女で串を用意して、バーベキューだ。
きっと、皆で、
目の前の焚き火に当たりながら、
焚き火に――、
ラムレザルの意識が、想像から現実に移った。
焚き火。
その近く。
レイヴンの足元。
血染めの地面があった。
血。
外に流れ出た血。
「生」が失われる暗喩。
「死」を連想した。
日常の想像は瞬時に、悪夢の「死」に逆行した。
シンが傷ついて、死ぬとしたら。
切られる。
殴られる。
潰される。
その悪夢の想像がシンのイメージを伴って現れては、それでは死なないと考えては、
より詳細に、より克明に、より深刻に傷が具体化する。
彼女は自らの想像に苦しめられ、ついには想像上で「死」をシミュレートすると、
そこでようやく彼女の悪夢は勢いを失った。
……では改めて、「生」と「死」の違い、とは?
ここで彼女は、シンの悪夢を振り返って気づく。
「生」と「死」の、はっきりとした境界が分からない。
現実のシンはどこまでも「死」を感じない。
だが、シミュレートの悪夢の中にいた、辛うじて生きているシンは、深い「死」を覚えさせた。
境目は、何だ?
より深い疑問に足を踏み入れたラムレザルは、胸にざらつきを感じた。
そのざらつきを無くすには、「生死」の答えがなければならない。
彼女は、苦々しくレイヴンの空気に触れた。
「……お前」
「何だ」
「『生』と『死』は――その境目は、何?」
「その話は終わったんじゃぁないか?」
「うるさい」
ラムレザルが犬歯を剥き、レイヴンは一呼吸置く。
「まあしかし、その問いに返すとすれば、」
彼が足下を指で示す。
「お前はこの血を『私』だと思うか?」
「思わない」
即座に切り返した。
「元々は、私の中にあったものだぞ?」
「それが外に出た。お前の中ではなくなった」
「では、私の腕を切るとしよう。
切り落とした腕は『私』か?」
「違う」
所有するものは外部に出ればそうではなくなる。
当たり前だと言うように、溜め息がちにラムレザルがそう二度目を答えた。
しかし、三度目。
「ならば、首を切ったら、その首は『私』か?」
そう訊かれ、そこでようやく困惑する。
「…………分からない」
「何故だ?
血と、腕と、首は、どう違う?
どれも同じ、私のものだ」
そしてどれも、人間の体の一部分に相違ない。
首は何故、彼のものではないと言い切れないのか?
それが新たな混乱を巻き起こす。
しかし、
「……それは、『生』と『死』の違いに必要なものなの?」
「お前の考え方次第だな」
切り口を得たレイヴンは、次の段階に話を進める。
「さて、ここに切り離された私の首があるとしよう。
肺と繋がっていないから話す事はない。
しかし腐る事はなく、瞬きをし、体温を保つ。
胴と繋がっている時と同等の機能を有している。
その私の首は、生きていると言えるか?」
ラムレザルは、恐る恐る答えた。
「……私は、生きていると思う」
「その首だけ――私のほんの一部だけが生きていたとして、
お前はそれを指して、『私』が生きていると思うか?」
首だけの存在。
だがそれでも、それに体温が――温もりがある。
それを死んでいると否定できなかった。だから、
「…………肯定、するよ」
その言葉に、レイヴンがずいと近寄った。
「聞かせておきたい話がある。昔の話だ。
1951年。ある女が病により、永遠の眠りに就いた。
それは、細胞にエラーが起こり、際限なく増殖を繰り返す病――癌だ」
「そんなの、よくある話だよ」
「ああ。そうだ。確かにそうだ。
しかし、その女は――お前の考えを適用するならば、1951年よりずっと後まで生きている」
「……その理由は?」
「女の治療にあたって、医者は腫瘍から癌細胞を抜き取った。
だが、その女が二度と目を開けなくなって以後も、その癌細胞は増殖する事ができた。
これに気づいた医者は、癌細胞を培養し、培養された癌細胞は以後、様々な研究に使われていった。
つまり、女の癌細胞は、その先もずっと生かされた。
ひょっとすれば、聖戦以後も、研究者の手によって生かされて――今まで、生き延びてきたかもしれない。
私のように不死の身を持たずとも、その身が朽ちてもなお『生きて』きた人間を、どう思う?」
返事に窮し、ラムレザルはレイヴンと視線を合わせる。
彼女は初めて、彼の目を真っ直ぐに眺める事ができた。
冥銭がはめこまれたような金色の左目と、生命の樹であるオリーブと同色の右目。
生死の揺らぎを有するその輝きから、彼の全てを汲む事などできはしない。
ただ、
自分の一部が掬い上げられ生き続ける女性。
千年を超えて今、目の前にいる男性。
その二つの運命の妙に、彼女は同じ感想を抱いた。
「不思議だ」
その一言だけが、今渦巻く数多の感覚の中で唯一、言語化できる概念だった。
「……それだけか?」
「それだけしか、私は言えない」
「では、『生』と『死』の違いは何だ?」
「私はその正しい答えを知らない」
ラムレザルは、素直に返した。
「ただ――少し、分かった。
『生』と『死』に、確かな境目はない。
死んでなお、生き続ける人が、この世界にいるのなら。
きっと、『生』と『死』はそんなに違わない。
だから『生』と『死』の違いに、今の私は答えを出せない」
レイヴンは口を閉じた。
ラムレザルの答えに肯定も否定も示さず、ただ彼女が創り上げた結末を飲みこんだ。
沈黙が、二人を包む。
ラムレザルは、答えならざる答えに満足し、その余韻を咀嚼した。
レイヴンは自ら近づけた距離を再び離し、虚空へ目を移す。
これまで立て続けに質問を受けてきたラムレザルは、逆にレイヴンに疑問を抱いた。
その疑問が沸々と出てくると、彼女はその疑問を彼に渡していく。
「何故、こんな事を訊いたの?」
「暇潰しだ」
「それなら、何で生死の違いを訊いたの?」
「傀儡に生死の概念を考えさせるのも一興かと考えた」
「……なら、お前は生死の違いを何だと思ってる?」
「『死』は『生の充足』を得るための必要条件。
『生の充足』は「死を享受する」為の十分条件。
端的に言えば、それだ」
ラムレザルの問いを躱すように、淡々と答えていくレイヴン。
だが、彼女の疑問はついに、彼を捕らえた。
「もう答えを知っているなら訊く必要がないのに、何で訊いたの?」
その疑問に、レイヴンは口を閉じ、口角を下げた。
黙りこむ彼に、ラムレザルが追撃する。
「私には理解できないけど、お前は痛い事が好きだと聞いた。
暇潰しなら一人で勝手に痛い事をすればいいし、私を戦いに誘う事もありえたはず。
なのに、お前は私に色々な事を訊いたし、聞かせたりもした。
それは何故?」
彼は億劫に口を開くと、吐き捨てるようにつぶやく。
「…………お前の考えが知りたかった。それだけだ」
彼女は、無意識に、ほんの少しだけ息を飲む。
己に関心を寄せていたのだという、その事実。
ラムレザルはレイヴンを見つめ直した。
決して、全く、好意など微塵なりとも抱けない人物。
だが、完全な人非人だとは言えない人間。
ほんの一匙の興味を向け、彼女は彼の声を聞く。
「私は意図せずとも、多くの人間と顔を合わせてきた。
千年の時を経ても、人間という種はほとんど変わらない、退屈な存在だ。
だが、お前はヴァレンタインだ。人間じゃぁない。
種からして外れた存在が、一体どれほど人間から外れ――どれだけの狂気を抱いているのか。
それを推し測ろうかと、単にそう思っただけだ」
ひとしきり沈黙の一服を経た後、レイヴンがラムレザルに目を向ける。
「――お前は何のために生きているのか?」
己が常に自問自答してきたその命題を、他者に託す。
ラムレザルは、すぐに言葉を紡いだ。
「前は『お母さん』のためだった。
けど今は違う。
未来の――『明日』のために生きている。
それだけじゃないけど、とにかく今は――」
言葉を切り、続きを探る。
生きるため、何をするか。
しかし、その答えはそれほど高尚なものではないかもしれないと、彼女は思った。
だから、言う。
「ダブルバーガーが食べたい」
「……は?」
日常の延長線のような願望が、「生死」の答えとして滑りこんだ。
思わず間の抜けた声を上げると、くすりとラムレザルが笑う。
「私は、まだ食べた事がない。
生きる事は、一日を繰り返す事じゃなく『明日』を生き続ける事だと思う。
だから、まだやった事がない事をやりたい。そう、思う」
彼女の思い、それは、
「……そうか」
彼に、笑みと伴って伝わった。
レイヴンはゆっくりと首肯する。
「死を思え、今を愉しめ。
その願望こそありふれているが、しかしお前の真実だ。
貴様は『生の充足』を知れる――約束された死があるからな」
二人は、静寂を迎え入れた。
言葉は最早不要であり、また無粋である事を無言の内に悟っていた。
そのまま、軟風のように流れる時間を享受する。
それで、もう充分だった。
「おうラム! いいウサギ取ってきたぜー!」
「ラムレザル、無事だったか?」
シンとソルが、各々手に獲物を持って戻ってきた。
ラムレザルは二人の姿を認めると、顔を上げて二人に駆け寄る。
「シン、ソル、待ってた」
「おう!」「ああ」
「んじゃ、早速メシにしようぜ!
もう腹が減りすぎて腹の虫が黙っちまうくらいだ!」
「私も、お腹がすいた」
「おっ、ラムも同じか?
じゃあこのノウサギと穴ウサギはラムにやるよ、ホラ!」
手渡されたウサギを受け取り、彼女は少し考えて穴ウサギをレイヴンに渡そうとする。
レイヴンは少しばかり驚きの素振りを見せてから、ついとそっぽを向いて拒否した。
「……私に、食欲は必要ない」
「必要がなくても、食べる事は悪くないよ」
その様子を見たソルは、怪訝な顔をしてラムに訊ねる。
「おい、何かされたか?」
「いや。ただ単に話をしただけ」
「話?」
「よくわからない話。
危害は加えられてはいない。度々嫌な思いをさせられたけど」
「なら、どうして食い物をよこしてやる?」
ソルのもっともな疑問に、彼女が返す。
「私たち三人が食べる中、一人だけ食べていないのは、落ち着かない気がする」
「……好きにしろ」
ソルは無造作にあぐらを掻き、シンは不思議そうな顔をしてその隣にしゃがみ、四人は焚き火を囲った。
ラムレザルはなおも穴ウサギを無言で勧めたが、強情なレイヴンを見てふとつぶやく。
「じゃあ、これは私のものにする。
私はお腹がとても空いた。お前の腹が空いていないのなら、私が食べた方がいい」
するとレイヴンは、手をにゅるりと伸ばして彼女から穴ウサギを奪い取った。
ラムレザルはその様を睨んで言い放つ。
「お前、『嫌い』だ」
レイヴンはその発言に嗤った。
「『すごく嫌い』じゃぁなくなったな」
すると、ラムレザルは口角を上げてその笑みを真似した。
「どうかなぁ?」