Doubtful conversation おまけ

今日は特に疲れた日だった。
「あの男」に誤解され、その誤解をほぐした後は、イノと会った瞬間何十回も蹴られた。
更に檻から脱走したギアを捕らえるためにひたすら施設内を歩き回り、それでもなお見つけられず捜索作業は明日へ持ち越し。暗に自分の能力の無さを告げられたようで、精神的にかなり参っている。
身体的苦痛であれば喜べるものだが、あいにく精神的苦痛にも食指を動かす性分ではない。
体を動かすのも億劫で、自分の部屋へ入りすぐさまマントを剥ぎクローゼットにぶちこみ、シャワーも浴びることなくベッドへ倒れこんだ。
頭の棘のお陰で仰向けになれず、しばらく横向きになっていたが寝返りを打とうとしても打てない不快感にさいなまれ、いら立ちベッドから起きて頭の棘を抜く。
棘はいつも通り机の引き出しに入れようとした。
だが――。
にゅばっ!
「なっ!?」
机から出てきたのは、毒々しい体色をした触手。
恐らく、脱走したと思われるギア。
そしてよぎる、イノの言動。
「……無許可で出してきたのか、あの女は!」
多分許可を申請しても受理されないだろうが。
しかし、理屈をこねてもギアは消えない。手刀で切ろうとした刹那、ふと主からの命令を思い出す。
『――できれば無傷で捕らえてね。後々実験で使うかもしれないから』
「……くっ!」
断ち切る寸前で手の動きを抑え、レイヴンは拘束の法力を放つ一声のため、口を開く。
「捕ら――、っ!」
ギアはそれを察したのか、触手を伸ばしレイヴンの喉に巻きつき、発声させないように絞め上げた。
万力を思わせる力。その圧は血の流れを矯め、気を遮断し、骨を折る。
苦痛。一瞬視界も思考も白くなる。が、すぐにフェードインし、目に飛びこんできたのはギアが机の引き出しからずるずると巨体を出し始めた。
ほぼ球体に集まった触手は直径2メートルほど。部屋のほとんどを埋め尽くすくらいであり――。
――どうやって引き出しに入れた!?
レイヴンが反射的に疑問する。
考えうる原因は、おそらく空間湾曲の法力により、世界の狭間に収納したのだろう。法力の無駄遣いという言葉がちらりと脳裏をよぎる。
ともかく、ギアは最後の触手の一本を抜こうとして、何度もその巨体を揺する。が、引き出しが小さいのが災いし、太い触手はなかなか抜けない。
その行為に気を取られたか、レイヴンの喉に絡む触手は緩んでいた。
これを好機として、静かに法力を構成する。
やがて法力は完成し、
「捕らえ――」
法力がギアに襲いかかろうとし、
――べちんっ!
ようやく抜けた最後の触手が、反動でレイヴンの頭を打つ。
「ンギモヂィィ!」
声は途切れ、法力が霧消した。
レイヴンの企みに気づいたギアは、再び喉を絞める。
また訪れる苦痛。更には別の幾多の触手を伸ばし、レイヴンの四肢をへし折ろうとし始めた。
苦痛が重なり、その中で、レイヴンは思う。
――ギアを何としても捕らえなければ。
それともう一つ、思う。
――もう少し……苦痛を味わってもいいんじゃぁないか?
二つの方向性が違い、葛藤し、そしてゆっくりと後者の思想が侵食する。
まるで、「起きなきゃ」と「あと五分くらい寝たい」という、布団の中の葛藤の如く。
殺人衝動を持つギアは本気でレイヴンを殺しにかかるが、不死者がそう簡単に死ぬ訳もなく。
一時間くらいだろうか、だいぶ今と同じような状況が続いていたが、ギアに疲れが見え始め、喉の触手が緩んだ。
「……っとだ……もっとだ……もっと深くウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!」
レイヴンの喘ぎが高く、高く響き――。
バタン。
と、部屋の扉が開く。
レイヴンが、一体邪魔をするとは何事だと、邪険な顔でそちらへ向き、
ピキッ。
ピシッ。
ガシャンッ。
空気が凍りつき、空気にヒビが入り、――空気が、修復不可能なほどに崩れ落ちる。
「あの男」。
彼は部屋の有様と、レイヴンの喘ぎ声から推測し、再び誤解を組み立てた。
「……そうか……。
君にはそんな趣味が……」
「お……お待ち下さい!
これは、これは誤解です! 実は、あの、ちょっと、その……」
まさか、「あの男」の命令より自分の欲望を優先していたとは言えない。
どもるレイヴンの様子を見て、「あの男」は分かったように首を振り、
「いや、そんな無理に言わなくていいんだ。
人にはそれぞれ、考え方や感じ方がある。
ただ、それが理解できないだけで……けれど僕はそれで争いを起こしたり、差別したりはしない、よ……」
ぎこちない笑みを浮かべ、「あの男」は、バタン、と開けた時と同じように、扉を閉めた。
……沈黙。
その重苦しい雰囲気を察したのか、ギアも動きを止める。
ただただ時間が過ぎて――。
「……………………フ、フ、フフ、フフフフフフフフフフフフ、ハハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハ……」
突然、レイヴンが感情のこもらない笑いをし、その異様な様子にギアがさっと退く。
触手から解放されたレイヴンは、ゆらりと幽鬼のように立ち、ぶつぶつと何かを囁いていた。
「……また『あの御方』に退かれ……誤解され……そうだ……全てイノの……フフ……全てイノのせいだ……他人の不幸を嘲笑う売女め……いや……いっそこの世の悪事全てがイノのせいだ……フハハハハ……そう……この事も……あの事も……あんな事も……こんな事も……あったな……私が不死になったのも……私が守ろうとしたのに『あの御方』から『その必要はないよ』と言われたのも……アクセルとの関係性が抹消したのも……私が前作から出ているキャラクターとしてよく忘れ去られているのも……全て……全てイノのせいだ……ククッ……そうでもしなければこの怒りはどうする? 捨てるか? 当たり散らすか? 否、そんな事では私の怨み辛みは晴らせない! あの女ァ、地獄に落として私も落ちて、針山地獄に刺して上からシュメルツ撃って撃って撃って撃って撃って撃って撃って撃って撃って撃って撃って撃って撃って撃って撃って撃って撃って撃って――」
狂気じみてくる発言に、ギアは警鐘を鳴らす本能のまま、部屋から逃げるように去っていった。
一方のレイヴンは、膝を抱えた体育座りで、ただ一人狂ったように笑っていた――。


翌日。
「あー、クソッ、レイヴンの部屋から遠いってのに、妙な笑い声が聞こえて眠れなかったじゃねぇか。
あの野郎、出会い頭にとっちめてやる」
イノは言いつつ廊下を歩く。
角を曲がると、どんっ、と衝撃と共にレイヴンにぶつかった。
「テメェ、前見ろよ! それと昨日――」
「昨日、何だ?」
その二言。
たったそれだけで、イノはびくりと怖じけづいた。
短い言葉に、これだけ憎悪を注ぎこめるのだと。
「さあ、イノ。遺言は用意したか? やるべき事はやったか? 神に祈れ、乞え。そして死ね」
「いきなり、何だよ!」
「昨日だ。いや、貴様には一昨日だ。私の部屋で何をした? それを思い出して悔いろ。全ては手遅れだがな」
ずいっ、とレイヴンが迫る。さっ、とイノが退く。
そしてイノが、心の底から叫んだ。
「ぎゃあああああああああああああッ!?」


「ん? 気のせいかな……イノの声が聞こえたような」
ギアの入った檻を見回りながら、「あの男」が振り返る。
あごをさすり、だが気に止めずに見ていく。
と、昨日まで空だった檻に、触手型ギアが納まっていた。
ちゃんと戻してくれたのか。「あの男」はそう思い、その檻を通り過ぎた。
ギアは思う。
……もう、外には出たくない、と。