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Dust Attack!

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  1. Hawk's nail
  2. Servant's Servant
  3. 嵐の陽 おまけ
  4. 千と十七の夜
  5. Ungreenhorn can't bleed

Hawk's nail

昔騎士だった人がティーカップ片手に独白する短い話
今日は、実に和やかな一日だ。
流石にこのような起伏のない日々が続くのは退屈だが、あの者に脅かされる生活を続ければ、このような何事もない日も悪くないと感じる。
ティー・カップを片手に、幸福なため息を吐いた。
「嗚呼……素晴らしい時間だ」
つぶやき、赤みがかった琥珀色の特注ローズヒップ・ティーを傾かせる。
とある文献でその存在を知り、お忍びで茶屋に作らせた物だ。一度飲んだ時からのお気に入りで、最近はこればかり飲んでいる。
カチャ、と陶器同士が音色を奏で、取っ手に絡んでいた細く長い指が離れた。
ティー・セットの隣には、面積の広い陶器に盛られたクッキーがある。常人からすればクランベリーか何かを混ぜたのだろうという赤みが、クッキーに色づけされている。
赤い「それ」を指でつまみ、口に運ぶ。口腔に広がる満ち足りた感覚に思わず頬が緩み、再びため息を吐いた。
「本当に……素晴らしい時間だ」
特別な人間のためにあつらえられた、木と革と鉄でできた椅子に腰かけ、彼がゆっくりと思案する。
――私は、何故普通の人間として生きられなかったのだろうか?
その一点が、彼の口角から笑みを奪った。
自分には能力があった。普通の人間とは違う、並外れた能力があった。
普通の人間が垂涎するような、その能力。だが彼は、それに今、苦悩していた。
――「神」が自分を選ばなければ、私は普通に生き、それを享受して、幸せに死んでいただろう。
だが、現実は違う。
俗世と隔離された場所で日々を孤独に過ごし、時々会うある女性と少しだけ会話をし、ただ上から与えられる仕事をこなす。その上、最近では昔のように戦う事が少なくなってきた。
――若い頃は「騎士」だったからか……結局、荒事を求めているのだな……。
先程とは毛色の違うため息を吐き、彼は顔を曇らせる。
自然と険しい顔になっていく彼を見て、慰めるように二羽の鳥が跳ねて近づいてきた。
彼はそれに気づくと、また笑みを取り戻し、その二羽につぶやく。





「シュヴァルツヴォルケン、もう少し強く絞めてくれ」
レイヴンがそう言うと、シュヴァルツヴォルケンはガアッ、と返事をする。
彼女たちが準備をする間、レイヴンはティー・カップを手に取った。
常人が飲めば胃が爛れる酸性値のローズヒップ・ティーは、当然レイヴンの胃も融かしていく。その際に生じる苦痛に、喉の奥から「……くうっ……」と嬉しそうな声を出す。
次に、赤いクッキーに手を伸ばす。これに混ぜられているのはクランベリーではなく唐辛子だ。辛味の刺激は、味覚ではなく痛覚に分類される。ローズヒップで爛れた口内に、カプサイシンが容赦なく苦痛をもたらした。
そうしている間に、準備はできたようだった。クチバシで椅子に取りつけられた鉄製のバルブを回すと、ギュッ、ギュッという音と共に脚の付け根が締めつけられる。
罪人用に造られた処刑椅子だ。脚部を絞めるための革紐が両脇に設けられており、更にその革紐の内側にはノコギリのような棘が隙間なく縫いつけられている。バルブの動きは革紐と連動しており、回すごとに革紐の円周が狭まる仕組みである。
「気持ち良い……!」
思わず、喘ぐ。
苦痛を一身に受けているレイヴンは、うっとりとした表情で囁いた。
「嗚呼、素晴らしいな。あの売女はもうしばらくは任務で帰還しない。お陰でこの至福の時間を脅かされる事も、下品な会話を振られる事もない。
しかし、まだ仕事がある……『あの御方』からの命とはいえ、事務ばかりというのは流石に退屈だ。争い事も、今は隠密にするようにと仰っていたからな……」
レイヴンの独白と、締めつけられる音が響く「バックヤード」の深部。
その奇妙な独り茶会は、数十分後に帰還したイノによって打ち破られたという。

Servant's Servant

サーヴァント達がレイヴンの誕生日を祝う話
なにかを知ることは、なにかの発端となり得る要素だ。
「ね゙え゙、『たんじょおび』って、なに?」
キャンディがMissティラミスのベールをつかみ、その質問を投げかけた。
ティラミスはキャンディに微笑みかけ、その答えをキャンディに授ける。
「それは生命体が生成された日から整数年経った日の事ですわ。
人間は、その日に色々とお祝いをするんですよ」
「『おいわい』?」
キャンディがおうむ返しに言い、ティラミスは悩むそぶりを見せてから更に答える。
「そうですわ。例えば、ですね――」

そうして、キャンディが「誕生日」の事を色々と知った時こそ、この騒動の発端であろう。



「マ゙スター」
しゃがれた声で、キャンディはレイヴンに呼びかける。
感情のないキャンディが自律行動を取ることは非常に珍しい。もしかしたらヴァレンタインに命令でも下されたのかと訝しみ、警戒しながら呼びかけに応えた。
「なんだ?」
「きょう、3月28日?」
「……日付が、どうかしたのか?」
「3月28日?」
「……まあ、そうだが」
突拍子のない問いかけに、レイヴンはとりあえず答える。
「あり゙がとう」
キャンディが腰を折り曲げて礼をあらわし、進軍を始めた。
眉をひそめ、レイヴンはキャンディの行動について思考を巡らす。
敵対者であるヴァレンタインのサーヴァントを利用しているからには、ヴァレンタインの干渉によってサーヴァントが反逆する可能性もある。そのため、サーヴァントの不審な行動には細心の注意を払わなければならない。
しかし、日付を知ってどうなるというのか? 日付がヴァレンタインに関わる何らかの因子に成り得る事はあるのだろうか?
疑問が渦巻き、困惑が深まる。レイヴンが自問自答の深みにはまっていくその時、キャンディからの報告が入る。
「マスターゴーストに着いた」
その報告にはっと顔を上げ、レイヴンは敵のマスターゴーストへと走って向かった。
炎上するマスターゴーストが見えてくる。レイヴンはそれから少し離れたところで停止し、マスターゴーストに狙いを定めて法力を練り上げる。
「シュメルツ・ベルク!」
鋭い軌跡がマスターゴーストに突き刺さり、その一点を起点にマスターゴーストが瓦解する。
勝利を得て、レイヴンは達成感のないため息を吐いてサーヴァントに呼びかけた。
「目的は達成した。バックヤードに還れ」
普通ならば、その一言でサーヴァントたちはすぐに消える。
しかし、消えない。
マスターゴーストの周囲に群がっていたサーヴァントたちはレイヴンににじり寄り、更にゴーストの制圧をしていたサーヴァントすらこちらに向かってくるのが分かった。
「どうした? 私は『還れ』と言っているぞ」
異常な状況に警戒を強め、レイヴンは迎撃の姿勢をとる。
それでもなおサーヴァントたちは寄ってくる。
「停止しろ。これ以上近づくな。マスターの命令だ」
怒りを含ませ、レイヴンが声を荒げる。
その時、キャンディが素早く動いた。
今まで見せなかった速度でレイヴンへと詰め寄り、レイヴンは法力を即座に練り上げる。
「シュメルツ――」
そうして法力をキャンディへ解き放つ刹那。
「マ゙スター、『たんじょおび』おめでとゔ!」
キャンディがそう叫び、それを聞いたレイヴンがコケた。



「……一体なにかと思えば……私の誕生日会だと?」
呆れ切って立ち尽くすレイヴンに、説明を終えたシャルロットが微笑みかける。
「はい。
キャンディがマスターの誕生日を祝いたいと言ったたので、私達も協力しようという事になったのです。
サプライズとして、マスターには伝えなかったんですが……迷惑だったですか?」
「いや、別にそれを責める訳じゃあない」
「それなら良かったです。では、まず始めに歌でも歌いますよ」
「歌?」
「ホラ、人間は誕生日に歌を歌うというじゃありませんか。
あの、『ハッピー・バースト・トゥーユー』でしたか、どうだか」
「それは『ハッピー・バースデー・トゥーユー』だ」
「そうでしたか。
では、気を取り直して、他の奴等が歌を歌いますから、どうぞ聴いて下さい」
そう言ってシャルロットがレイヴンから退くと、エクレアとチェリー、それとチェリーハチェットが前に出てきて、鳴き始めた。
「キーキーキーシャーキー、キルルキーシャーキーキー」
「ギイギイ、キヒヒヒヒ、ギギギキャー」
「ギッギイッキー、ギュキーキーヒヒ、キーキー」
「…………」
しばらく歌という名目の騒音を聞いて、騒音が終わると再びシャルロットが近づいてくる。
「どうでしたか?」
「……不協和音だった」
「まあそれはさて置き、次やりましょう」
レイヴンの不評を聞かなかった事にし、シャルロットが再び退いて二匹のプロフェッサー・ブラマンジェが前に出る。
二匹がかりで持っているのは、直径一メートルはあろうかという皿だった。その上には白いクリームで塗り固められた巨大なケーキ。
その盛大さに思わず感嘆する。ブラマンジェは巨大なケーキの皿を持ちながら、震える声で説明する。
「お、一昨日から準備しましたケーキです。
マスターの誕生日に間に合ってよかったです。じゃあ、どうぞです」
言いつつ、地面にじかに皿を置く。
それは衛生的にどうかと思ったが、そもそも不死者の自分が衛生を気にする必要はないとも思い、レイヴンは試しに食べるために足を踏み出した。
しかし、それより速く動く影が足元で風を巻き起こした。
大勢のキャンディは皿が置かれた瞬間にケーキの元へと走り、辿り着いた者が一斉にむさぼり食う。
「ゲェーッ!?」
キャンディの波から逃げ遅れたブラマンジェは悲鳴を上げて倒れこみ、その上を更なる一群が踏みつける。
ケーキの周囲がキャンディで埋まると、後から来た一群が飛びケーキへダイブする。中には勢い余ってケーキの中に埋もれる者もいた。
レイヴンが呆然とそれを見ていたが、ようやくキャンディから逃れられたブラマンジェが、傍らでうなだれる。
「すみません……誕生日といえばケーキなのに……」
「いや、別にいい」
「でも、マスター、」
ブラマンジェが謝罪の続きを言おうとした刹那、
「ギャー!」
「ん?」「え?」
「ギャー!」「ギャー!」「ギャー!」「ギャー!」「ギャー!」「ギャー!」
ケーキを食べていたキャンディが次々に倒れ伏し、血を吐き、痙攣を始める。
その様子を呆然と見ていたレイヴンの隣で、ブラマンジェが思い出したかのようにぽん、と手を打つ。
「あ、そういえば。
マスターに食べさせるケーキを作る時、虫が食べないように殺虫剤をケーキに入れてました」
「……本末転倒じゃあないか」
だが、食べなくて良かったと内心ほっとする。
やがてぴくりともしなくなったキャンディの群を掃除してから、ティラミスがレイヴンへ近づく。
「もう一つ謝る事が御座いました」
「何?」
「わたくし、少し人づてで聞いた事が御座います。
誕生日を迎えた人間は、棒状の物の先端につけた火を消すというのです。
それはケーキを食べる前に行われる儀式だとも聞きましたが……申し訳ありませんね」
「確かにそういう事をするが、それは蝋燭で行う事だ」
「あら、わたくしとした事が」
無知を露し、ティラミスが恥じ入ったように赤くなる。
「しかし、これから蝋燭を調達する事は難しいので……とりあえず、これで代用という事でご勘弁を」
そう言って、ティラミスがサーヴァント達に命令すると、サーヴァント達は火のついた棒を手にし始めた。
「代用にすらなっていない気がするが……。
って、待て。ちょっと待て。何故にじり寄っている? その上火をこちらに向けているのは何故だ?」
「どうせ火を消すなら、マスターの喜ぶ方法で火を消した方がよろしいかと思いまして」
「私の体に火を押しつけるつもりかッ!?」
レイヴンが抗議の声を上げた。
だが、サーヴァント達は止まらなかった。キャンディはすでに彼のマントを着火させ、更に別方向ではガトースキンがスカートに火を押しつけている。
燃え盛る火がレイヴンを段々と包みこみ、彼に移った火は肥大し炎の域に達していた。
「待てっ! 待っ、キモチッ、待て! 止まれ! 離れろ! ちょっ、助けっ――ンギモギイイイイイイイィィィィィィィィィィッ!」
彼の必死の制止に、ようやくサーヴァント達が止まる。
皮膚がただれる痛苦に全身を覆われ、思わず口から嬌声が漏れた。
このまま燃やされていた方が気持ち良いのだが、頭に残っている理性が消火のために地面をごろごろと転がる。
何メートルも転がって、ようやく火を消せた。しかし被害はしっかり残っており、服のあちこちが燃えて肌が見えていた。
その姿を見たティラミスが、口元を手で隠して少し蔑んだ視線を送っている。
「マスター、肌をみだりに見せるなんて……はしたないです」
「貴様は、私が自発的に肌を見せていると思っているのか!?」
がばっ、と起き上がったレイヴンがティラミスを責める。
それを無視し、ティラミスが小さく手を打って表情を朗らかに変えた。
「それはさて置きまして、まだお祝いする事が御座います」
「……今度こそまともに祝うのだろうな?」
「当然です。今、破廉恥な格好をしていらっしゃるマスターにぴったりなお祝いです」
「誰が破廉恥な格好にしたと思っている」
レイヴンの非難をよけるかのようにティラミスが去り、代わりにミルフィーユが進み出た。
「マスター、プレゼントです」
その両手に抱えられているのは、綺麗にラッピングされた立方体の箱。今度こそちゃんとしていそうだ。
「誕生日おめでとうございます」
「ああ」
ミルフィーユの祝いの言葉に平和的に返答し、レイヴンは差し出されたその箱を受け取った。
中身が何かいまだにわからないが、重量感から推測すれば軽い物だろう。
まともそうなプレゼントにほんの少しワクワクして、レイヴンがミルフィーユに問いかけた。
「ここで開けてもいいか?」
「ええ。いいですよ」
箱を彩るラッピングをほどき、包装を破き、箱の蓋を取る。
その中身を見たレイヴンは、
「…………」
沈黙した。
中身は、「服」だった。
それも、ただの服ではない。黒と紫を基調にした服で――、
あちこちにリボン。
すみずみまでフリル。
いわゆるゴシック・ロリータの服である。それも同じ趣向をこらしたミニスカートも付いている。
箱を持っている手が、いたって自然に震え始めた。
手と同じく震える声で、レイヴンはミルフィーユに問い詰める。
「私にこれを着れと!?」
「我々サーヴァントとマスターをお揃いにしようという事になりまして、このように」
「第一、私がこれで喜ぶと思ったのか!?」
「マスターは元々スカートをお召しになっていたので、そういう趣味かと思ったのです」
「趣味じゃあない!」
「趣味ではなくとも、みにく……美しい我がマスターならば、そのような物も着こなせると私は思います」
「嘘をつくな! 今『醜い』と言いかけただろうが!」
とにかく、レイヴンは忌まわしいゴスロリ服を消し去り、法力でボロボロの服を修復した。
「どこがお祝いだ……。まさかヴァレンタインからの嫌がらせか?」
小声でぼやき、サーヴァントに向き直る。
「それで、この下らないお祝いはこれで終わりか?」
「まだ」
ガトースキンが答える。
「マ、マスター。まだ、プレゼント、ある」
「ほう。今度は何だ? 三角木馬でも出すつもりか?」
嫌味ったらしいレイヴンの言葉に首を振り、ガトースキンは石のような固体を出した。
「マスター、これ」
「……何だ、これは? ただの石ころじゃあないか」
「違う。よく、見て」
そう言ってガトースキンが石の表面を指さす。
そこには、よく見ると、
『Raven』
と刻まれていた。
自分の名前である。その意味が分からないレイヴンは、ガトースキンに訊ねる
「これが、何になるというんだ?」
「生きた、証」
ガトースキンの答えに、レイヴンがはっとする。
レイヴンの欲しい物は、生きた証だ。
「……しかし、風化すれば文字など消える。
こんな証、私が死んだ後には、すぐに役立たずになるだろう」
「う、うん。だから、他、刻む」
「何をだ?」
「マスターの、こと。それで……えーっと」
「わたくしが答えます、マスター」
ティラミスが一礼し、ガトースキンとレイヴンの間を割って入る。
「確かに物質は風化します。
しかし、情報粒子は風化しません。情報の海、バックヤードにマスターの名前を刻みました」
「バックヤードに刻む? どのようにだ?」
「バックヤードそのものに干渉しないよう、コメントアウトしましたが……、言葉で説明する事は難しいですが、とにかく刻みました」
「随分と不確かだな。それで大丈夫なのか?」
「大丈夫です。わたくし達も、マスターの事をこの胸に刻みますから」
そう言い、ティラミスは胸に手を当てる。
「バックヤード発生個体――サーヴァントに寿命はありません。
わたくしたちがマスターの事を覚え、そして忘れずに生きていく事が、『生きた証』となり得るかと――図々しいですが、そう考えたのです」
「……そうか」
「……怒りましたか?」
「いや、怒っていない。…………嬉しい」
最後につぶやいた言葉に、サーヴァント達が顔を明るくする。
「マスター、わたくし達も嬉しいです。
もしかしたら迷惑をお掛けしましたかもしれませんが……。マスターがお喜びになって、わたくし感激致しました」
迷惑の方を一杯かけられたがな、という無粋な愚痴は心の中でつぶやき、レイヴンはサーヴァント達に呼びかけた。
「これで終わりか?
終わったなら早く還れ。早くしなければ、厄介な奴に見つかりそうだ」
「いや」
キャンディが首を振り、レイヴンを見上げる。
「きょう、せっかくだから、ずっと一緒にいる」
「そうですよマスター。迷惑をかけた埋め合わせをしましょう」
シャルロットもキャンディに同意し、他のサーヴァント達も声を上げる。
「キシャー!」「やるー!」「いいですわね」「美しく祝いましょう」「マ、マスターが良ければ」
「……まあ、いいか」
レイヴンが諦め、サーヴァント達が歓声を上げる。



「――ねえ、ルシフェロ」
「ん?」
「わたしの誕生日って、いつ?」
「……いきなり何だ?
はっ! もしかしてこれは、『わたしの誕生日を祝って欲しいの』という誘い……そしてそこから来るのは『わたしに構って』というアピール――」
「否定するよ」
「じゃあ、一体?」



「だって、誕生日になると、あの服を貰えるの」

嵐の陽 おまけ

「嵐の陽」のおまけ
シンとソルの前日譚
ぱちり、と夜闇の中で薪が爆ぜる。
そしてその薪をぐるりと取り囲んでいるのは、十八本もの木串に刺さった兎の肉。
串を伝う肉汁が照るを見て思わず唾がこみあげ、ごくりと大きな音を立てて嚥下する。
シンは今、火の番をしていた。
彼と旅をしているソルは、食用の野草を採りに出かけている。シンにとっては肉さえ食べられれば異存はないのだが、肉ばかり食べている食生活についてカイから「健康的でない」云々の説教があったために、近頃は野草も食している。
最初は「野草なんて苦くて不味いだけだろ」と文句を言ったのだが、すぐさまソルの鉄拳が飛んできたので、以後そういった発言はつつしむ事にした。
「――それにしてもおっせーな。このままだとせっかくの肉が焦げちまうぜ」
美味しそうな匂いを漂わせる肉に目を向け、シンがぼやく。
見たところ、今が食べごろだ。控え目な焼き目が全体的にあり、ミディアム・レアの状態であった。
「…………」
それを見ていたシンの頭の中で、悪魔と天使の囁きが聞こえてくる。
(別にいいじゃねぇか。おせぇオヤジが悪いんだ。それに肉を焦がしたら兎に申し訳ねえだろ? 食っちまえよ!)
(駄目だ! 肉が減ってるのを見たら、絶対オヤジが気づいちまう! そうなるとどやされるどころの騒ぎじゃねぇぞ!)
(おい、見ろよ! こんなに美味しそうな肉、今食わねえと、あとでコゲた肉食うことになって後悔しちまうぜ!)
(だとしても、オヤジの鉄拳の威力は前ので覚えただろ? また鉄拳食らいたいのかよ!?)
「うぅぅううううううぅぅぅぅぅー!」
シンは善悪の境界に立たされ、頭を抱え大いに困惑する。
だが、本能に根ざした「みなぎる食欲」に勝てず――、
「……ちょ、ちょっとだけだ……!」
ついに、串に手を伸ばした。
恐怖と期待で震える腕がゆっくりと接近し、指が串に絡みつき、ひと思いに肉へ歯を立てる。
「うっめー!」
思わず声を上げた。
その後も肉にかじりつき、塩胡椒が濃厚な肉汁と共に舌へ落ちるたび、シンは歓喜の声を上げる。
すぐに一本分の肉を平らげたシンは、周囲を見回し、ソルの姿がないことを確認して、にやりと笑った。
「もうちょっと食っても、いいよな?」
返答者のない確認をつぶやいて、再びシンが串を取る。
そして、これまたすぐに肉を平らげ、三度目となる魔の手を伸ばすのだが。
「おい、シン」
「ひゃいっ!?」
シンは奇妙な鳴き声を発した後、ゆっくりと後ろを振り返る。
そこには、腕に野草を山盛りに抱えた、赤い人影――ソルの姿。
ソルは無言で、無表情で、火を囲む串の数を数えた。
十六本。確か、自分が用意した串は十八本である。そして、シンの近くに散らばる、肉のない串が二本。
結論は分かりきっていた。だが、ソルはただただ無表情を保ち、シンに問いかける。
「食ったか?」
「い、いいいいいや、ンなわきゃねーだろ! もう子供じゃねえんだし、そんな、つまみ食いなんて」
そう言うシンの目は泳ぎまくり、動揺しているのか膝ががくがくと震えていた。
ソルは当然、自分がいなくなった間に起きた出来事を的確に推測したのだが、あえて口には出さず、野草をそのへんに置く。
「……オヤジ?」
てっきり殴られると思い体を丸めていたシンは、その警戒を解いて胸を撫でおろす。どうやら危機を脱したのだと、シン本人は判断したようだ。
ソルはシンの隣で胡座をかき、コートの下から水筒を取り出した。
「飲むか?」
「ああ。ちょっと緊張してノドが渇いてたんだ」
「緊張?」
「……! い、いや! いや、火のせいで暑くて汗かいたんだ! 怒られると思って緊張してたワケじゃねえぞ!」
苦しい言い訳をするシンに、ソルは無言を保って水筒を押しつけた。
シンはソルの手から水筒を取ると、フタを外してから一気に飲む。
口から少しこぼれた水の筋をぬぐってから、シンはソルに向かって問いを発した。
「なあ、明日はどこ行くんだ?」
「しばらく道を歩く。地図の通りなら、夕方ごろには放棄された古城が見えるはずだ。
賞金首や盗賊がねぐらにしてるかもしれねえし、もしかしたらGEARが巣くっているかもしれねえ。どちらにしろ、寄る価値はありそうだ」
「城か……ひさびさに雨に濡れる心配しなくていいな!」
「……感想はそれだけか」
「ん? 他になんかあるのか?」
「話から離れるが、シン。お前、オレの用意した肉食っただろうが」
ピシッ。
シンの動きが、音を立てて止まる。
しばらく硬直していたが、シンはゆっくりと口を開き、報われない自己弁護を展開しようとした。
しかし――、
「オレが食った」
シンの意志を裏切り出た発言に、シン自身が一番驚愕した。
「ほう……」
すうっ、とソルの目が鋭く尖り、背後から怒りの「何か」――いわゆる「オーラ」だろう――が立ち昇る。
「何本食った?」
「二本だ――って、いや違う! オヤジ、これは、その、あれだな」
「旨かったか?」
「すっげえウマかった――って、これも違うんだ! なんだ、どうしたんだよオレ! 口が……いうコトきかねーぞ!?」
ソルは指をポキポキと鳴らしつつ、鋭い視線で水筒を指した。
「あの水筒に自白剤を入れた。イノやレイヴンと遭遇した時に、ヤロウの居場所を吐かせるためにと思ってな」
「おい、オヤジ! お、オレはその、イノでもレイヴンでもねえぞ!?」
「テメェに自白剤を盛ったのは、ちゃんと効くかどうか『実験』するためだ。
なにせ、あのトンデモ闇医者を強請って奪ったヤツだ。効果があるか疑ったが――どうやらただの疑心暗鬼だったようだな」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! たった二本だ! 二本くらい、ほんのちょっとじゃねえか!」
「おい、シン」
「な、なんだよ!?」
「テメェ、今一番やられたくねえコトはなんだ?」
「殴られることだ!」
シンの口が、やはり意志を裏切ってきっぱりと心情を吐き――。
ソルは、必殺の拳を握りしめた。



ソルの何十発ものコンビネーションにノックダウンしたシンが目覚めたのは、その翌日の深夜だったという。

千と十七の夜

イノとレイヴンの話
カップリング要素あり
そろそろ宿をとるべきだと、視界の暗さが提案した。
陽を飲みこんでいる山はまだ橙色に染まっているが、その反対にある空腹の山は黒い塊として鎮座している。
一番星を見上げながら、街道を歩く。そろそろ村に到着する頃合いだ。
空から地へと視線を移すと、遠くにぽつんと村があった。
これで宿がなければどうしようか、と悩んでみたが、村の男でも誘惑して泊まりこめばいいか、と自己完結する。
そんなことを思いながら、イノは足を運んでいた。



「そう、はるばるロンドンからいらしてきたのですね」
宿を経営する柔和な女主人は、どこから来たのかと質問して得た答えを繰り返した。
イノは表面上はどうということのない顔をしているが、心の内では大いに舌打ちをしている。
男であったならば、誘惑して宿代をタダにしてもらえる可能性があるというのに、女となればその可能性は限りなくゼロに近い。
「でも残念ながら、今晩宿はいっぱいで……」
その柔和な顔を申し訳なさそうに崩しながら、イノに深々とお辞儀をする女主人。
イノはその言葉を聞いて、ふと内心で打算する。
「ねえ、それだったら相部屋っていうのはどうかしら?」
「え?」
「迷惑をかけないようにするから、いいじゃない」
「でも……泊まっているお客様は、全員男性のかたでして……」
女主人から引き出した情報に、イノは内心ほぞかんだ。
男と相部屋になれば、もしかすれば男に宿代を払わせることができるかもしれないし、「お遊び」もできる。
そのような邪心を表に出さず、イノは女主人をさらに押す。
「アタシはそういうの気にしないから。大丈夫よ」
「でも……」
「そ・れ・に、こう見えてもけっこう法力を使えるのよ。
もし襲われたら、ガツンといけるんだから」
「…………」
女主人はしばらく困惑した表情でいたが、あきらめたようにため息を吐いた。
「分かりました。お客様にたずねてみます」
そう言うと、女主人が宿泊部屋である二階に上がり、二言三言がわずかに聞こえ、下りてくる。
「よろしいようです。では、案内いたします」
「アリガトね♪」
イノが弾んだ声で応えてから、女主人の後をついて行った。
木の階段を跳ねるように上がり、階段の脇にある扉を女主人がノックするのを楽しげに見つめる。
「お客様、相部屋希望のかたを連れてきました」
「――ああ。分かった」
イノがその声に、ん? と疑問符を浮かべたが、扉が開けられ声の主と顔を合わせ、その疑問符がかき消される。
「…………」
「…………」
「それでは、ごゆっくりどうぞ」
声の主とイノが沈黙して対面している間に、女主人は一礼してから一階へ下りていった。
「……で、」
イノが、一気に疲れた様子で声の主に呼びかける。
「どういうコトだ、レイヴン」
「それはこちらが聞きたいな」
フン、と鼻息をあらげて、レイヴンは扉の横にある壁に寄りかかった。
濁った白髪が、棘のない額にだらりと垂れ下がっていた。いつものマントとスーツではなく、黒いシャツに黒いジーンズを着用している。
そのレイヴンはイノを見下げ、不機嫌な顔を保ったまま口を開いた。
「私は安穏と生きたいというのに、どうして貴様はことごとく邪魔をするのか。まったく理解に苦しむ」
「したくしてしたワケじゃねえよ。
それより、何でいっつも野宿してるテメェが今日に限って宿をとったんだ? 少しは身分ってモンをわきまえろ」
「今日の昼、盗賊が襲ってきて返り討ちにして金を得ただけだ」
「そうかよ。
じゃあとっとと部屋から出ていけ。テメェはいつも通り野宿してればいいんだよ」
「誰に物を言っているのか分からないようだな。
この部屋は、『私が』借りた。『貴様が』じゃあない。
つまり分かるか? この部屋の現在の所有権は『私』にある。――ああ、済まない。隠語と罵倒しか頭にない貴様には少々高度な論理だったか」
「ハァ? テメェこそバカじゃねえのか?
泊まれる権利は人間様にしかねーんだよ。雑菌溜めこんでる汚ねえカラスはさっさとゴミでも漁ってろ!」
「人の形だけはしている塵芥に言われるとは心外だな。そもそも生物ですらない有害な物体に罵倒されるとは、私の方まで格が落ちる」
「勝手に落ちてろ! この根暗野郎!」
「これ以上口を開くな。黙れ無能女」
「うるせえ、喋る死体が!」
「白痴の屑」
「キモカラス!」
「畜生以下」
「変態!」
「牛女」
「鳥頭!」
会話のレベルが下がっていくのと反比例して、互いの声量は上がっていく。
そうして、幾度か言葉のキャッチボール――というよりはドッジボール――を繰り返すと、罵倒のループを断ち切るように第三者からの声が上がった。
「お客さん!」
階段から聞こえたその声に、イノとレイヴンはそちらに向き、そこにいた女主人が湿った目で言い放った。
「五月蠅くするんだったら、出ていってくれませんかね」



くしゃみが、広大な夜空に響き渡る。
イノは鼻をすすりながら、拗ねた様子で寝返りを打った。打ったところで、寝心地がひどく悪いことに変わりはない。
砂利が点々とある荒れ地よりはマシであるが、草原であると葉先が肌を始終突っつき、ひどくむず痒い。
顔をしかめて再び寝返りを打つ。その運動で体は着々と乳酸を貯めこみ、不快感を増してくる。
むくり、とイノが起き上がり、痒い太ももを掻きつつ目線を上げた。
「何だ?」
その上げた先にいたレイヴンが、こちらを見下げて声を出す。
レイヴンは草原ではなく、大木の太い枝に身を預けていた。見るからに不安定そうだが、危なげな様子を見せないところを見ると普段から枝の上で寝ているらしい。
イノは「テメェより下にいるコトが腹立たしい」と言って一回登ってみたものの、寝ようとするとすぐさま転げ落ちたために諦めて草原で寝転がることにしたのだ。
「何でもねえよ。痒くて眠れねえだけだ」
「何でもあるじゃあないか」
「うっせえ。ンな細けえコト気にすんな」
疲労と眠気からか、イノの反論には勢いがない。
せめて何か安眠できるような道具はないものかと思案していると、ふと吹いた風に乗ってニィ、ニィ、と愛らしい声が聞こえた。
「……これ、猫か?」
そう言ってイノが立ち上がり、声のした方向へと歩き出す。
「あまり遠くに行くな。厄介な輩に見つかる可能性がある」
「遠くじゃねえよ。声からして近い……っと、」
ニィ、と足元から聞こえた声に目を向ければ、想像通り仔猫がうずくまっていた。
イノがしばらくじっと見ていると、人が見つかって安心したのか、ゴロゴロと喉を鳴らしながらブーツに身を寄せ、彼女を潤んだ目で見上げる。
思わず微笑むイノの顔を見て、レイヴンは何とも言えない顔でつぶやいた。
「貴様も、そういう物には笑いかける情もあるのだな」
「まあな」
イノが仔猫に手を差し出して抱きかかえると、レイヴンに向かってこう続けた。
「猫の毛皮って、高く売れるしよ」
「…………」
「そういや、動物の毛皮って生きたまま剥ぐらしいな」
「……珍しく愛護精神を見せたかと思えばそれか……。
貴様らしいと言えばそうだが、人道的な思考を持つ事はできないのか……?」
「人道的に生きてどうするってんだ?
どうせなら好き勝手に生きるほうが楽しいじゃねえか」
そうのたまうイノの腕にあっても、仔猫は未だ嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らしている。
「まあ、今すぐ金には替えねえけどよ。
柔らけーし、枕にでもすればぐっすり眠れそうだ」
「猫が潰れるぞ」
「そうか。んじゃかっさばいて毛布にするか……いやシーツか?」
「どちらも体表面積的に考えて無理だな。革を繋ぎあわさなければせいぜい赤子用だろう」
「革を繋ぎあわせる――」
「……そこで何故私に目を向ける?」
「いや、テメェの革だとクサいし汚いからムリだな」
「あきらめてくれた事自体は結構だが、その侮辱は聞き捨てならん」
「事実だろうが。その上クセェのは『背徳の炎』公認だろ?」
「では汚いの部分はどうだ」
「ウジ湧きそうな体してるだろうが」
「湧いていない。
一ヶ月くらい岩に潰されて自虐していたりすれば流石に湧いたが、普段は清潔にするよう心がけているぞ」
「……マジで湧かれたのかよ」
「……本気で言ってなかったのか?」
『…………』
しばらくは互いの顔を信じられないように見つめていたが、この行為に生産性がないと悟ったイノが視線を逸らす。
それから猫に目を留めて、つややかな毛を撫でつけて暇を潰す。
レイヴンは先程よりも形容しがたい顔でその様子を眺めていたが、イノの体を掻く頻度が高くなっているのに気づいて、ふと訊いてみた。
「まだ痒いのか?」
「ああ。なんかどうにも痒い。このままだと眠れねえな」
「その猫に、小さな虫が貼りついていないか?」
「そうだな。なんかやけにピョンピョン跳ねるぞ」
「……貴様は、本当に頭が足りていないな」
「何だよ。さっきの続きか?」
「その虫、ノミだぞ」
さっ。
イノの血の気が引く音を、レイヴンは確かに聞いた。
彼女は確認のために慌てて仔猫の体から虫を採取し、目を凝らしてよく見てみる。
うぞうぞと動く足、細かい毛、焦茶色の小さい体……。
完全にノミだ。
「――この疫病猫がああぁッ!」
イノが叫ぶと、それに脅えた仔猫を片手に持ち、投擲の構えをとった。
その目標が自分だと知ると、レイヴンは同じく叫び返す。
「生き物を人に投げつけるな!」
「アァ!? このアタシを不快にさせるようなクズをどう扱おうが、文句は出ねえだろうが!」
「それは私も含めているのかッ!?」
「当たり前だろうが! 二匹まとめてくたばりやがれ!」
宣言と共に飛んできた仔猫に、レイヴンは回避しようと身じろぎをする。
しかし、仔猫は空中で体勢を整えるために体をひねり、それがレイヴンの計算を狂わせた。
べしゃ、と仔猫が軽くぶつかる。
あくまで「軽い」衝撃だったが、回避を前提としたレイヴンの体はその衝撃にあっさり崩れ、重心を元の位置に保とうとする努力も虚しく木の枝から墜落した。
ニャアー、と抗議の声を上げつつ仔猫が去っていき、いまだ体を掻き続けるイノと草原に転がるレイヴンだけが残る。
やがてレイヴンが起きあがり、自分の体を跳ねるノミを嫌そうに見つめていた。
「くそっ、もう刺されているぞ……」
「そっちはまだマシだろ。こっちはもう十個以上も刺された痕があるんだよ」
「貴様が不用意に野良猫を抱いたせいだ。同情はできん」
「テメェに同情されるほど落ちぶれてねぇ」
互いに減らない口を叩き、とりあえず黙々とノミ取りに専念する。
ノミを取っても刺された痕は取れずに残る。見た目が悪くなるのも辛いが、非常に痒いのが一番辛い。
取り終わった後は、両手を駆使して全身を痛くなるまで掻きむしった。
ぼりぼりという音の中、掻きすぎて痛かったのか、レイヴンの方から「……くうっ……」と嬉しそうな声が聞こえる。
「……なあ、その変態嗜好どうにかなんねえのか?」
「なる訳がない。そもそも、これがなければ私はどう生きていけば良いのだ?」
「静かにくたばっていりゃいいだろうが」
「くたばれないからこうして生きているのだろうが。貴様は考えを巡らすという事を覚えておいた方がいい」
「フン。それより痛いのが気持ちいいとか、いったいテメェの体はどういう仕組みしてんだよ」
「身体の構造云々の問題じゃあないだろう。まだ痛みについて分かっていない青二才の時から、ずっと痛みは同じ感覚だ」
「じゃ、なんだ?」
「心理的な部分が違うのだろう。
痛みは死を想起させると同時に生の脈動を感じさせる。生きるための警鐘、そして死への階段……。その高尚なる感情を抱かせる痛みを、精神的な位の低い貴様には分かるまい」
「ンなモン、分からなくて結構だよ」
「ああ。貴様に分かられても、私には一切合切得る物がないからな」
それから、沈黙の帳がおりる。
レイヴンは木によじ登り、枝の根本に腰をおろして幹に背を預けた。
眠ろうとして目蓋を閉じた時、イノが再び声をかける。
「じゃあ、痛み以外もちゃんと感じるワケだな」
「そうだ。だが、普通の五感では私を奮えさせる事はできない」
「けどよ、痛みってそもそも触覚の一部じゃねえのか?」
「……そうだな」
何度目かの沈黙に、レイヴンが微睡みを得ようとした瞬間にイノが何度目かの声を出す。
「チッ、騒いじまって眠れねえじゃねえか」
「それは貴様だけの責任だ。私は関係ない」
「もう今夜は眠れねえよ」
「繰り返さずとも分かっている」
「眠れねえ」
「……だからっ」
五月蠅い、と一蹴しようとして勢いづき、目蓋を開けた。
目の前に、イノがいた。
「……なっ、」
思わず唖然とするレイヴンの口を、マニキュアで彩られた指で塞ぎ、イノが彼の目を覗きこむ。
「女が眠れねえって言ってんだよ。
その意味分かってんのか? バカだからか?」
「……どういう、つもりだ?」
「どういうもこういうもねえだろ。千年も生きてるテメェが、十五のボウヤにも分かるコトを分からねえとかほざくんじゃねえぞ」
「……だが、貴様は私を、」
「嫌ってるってか?」
先読みしたイノの言葉に首肯する。
訳が分からない、といった様子のレイヴンを見て、イノは笑った。
「女はな、相手を憎みながら抱ける生き物なんだよ」
「……落差が大きいな」
ごく純粋に、浮かんだ言葉を吐くと、イノが悪戯じみた笑い声を出した。
「ギャップは相手を落とすテクだしな」
「だが、結局は表面上の好意だろう?」
「アタシは好き勝手にやれるなら何だってやるさ。自分だって裏切ってやるよ」
睫毛を濡らし、イノがレイヴンと目を合わせる。
今度の沈黙は、重かった。
それは霧のような冷たい沈黙ではなく、甘露をまとった沈黙だった。
そして、イノがレイヴンの頬に手をかける。
レイヴンはいつものような抵抗は見せず、ただイノの挙動に注目していた。
イノの顔がゆっくりと近づく。目蓋は閉じられている。
レイヴンもまた目蓋を閉じた。
その瞬間。
べしゃ。
レイヴンがその違和感に気づいて目蓋を開けると、そこは一面の緑だった。
「……は?」
混乱しているレイヴンを見下げ、イノは枝から足を垂らしてぶらぶらさせながら嘲笑する。
「――くっはははははははッ!」
レイヴンが顔を上げる。どうやら目蓋を閉じている間にイノにはたき落とされたらしい。
思いっきり馬鹿にした表情で、イノが言う。
「もしかして、テメェ、アタシがマジにヤると思ってたのかよ?」
「……このっ!」
怒りから拳を振り上げるレイヴンの上に、イノが飛び降りる。
まだ体勢が整っていなかったため、レイヴンは回避できずにイノの落下の衝撃を一身に受けることになってしまった。
レイヴンが好むはずの痛み。だが、それに快感は感じない。
思いっきり屈辱を感じ、レイヴンは身を起き上がらせてイノを殴ろうとする。
「貴様っ、今度こそ許さんッ! 私を無為に謀り恥辱を味わわせた責任は取ってもらうぞ!」
レイヴンの腕からひょいひょいとイノが逃れ、やがて追いかけっこが始まった。
しかし、それは単なる追いかけっこではない。空間跳躍の法力を無駄に駆使した追いかけっこである。
ギィン、ギィンと独特の音を響かせて、あちらでイノが、こちらでレイヴンが、姿を一瞬だけ見せてすぐに掻き消え、不可視の破壊の応酬を繰り返す。
やがて両者は同時に姿を現し、法力を酷使したせいで蓄積された疲労を癒やすため、ばったりと草原に倒れこんだ。
「……このっ……鼠、め……貴様のせいで、『背徳の炎』に感知されたらどうするつもりだっ……」
「……て、テメェを置いて、……時間跳んで逃げてやるよっ……」
「その……体力は残っているのか……? 今でも……仕留められそうだが……」
「アタシを……舐めんじゃ、ねえよっ……!」
「どうかなあ……? 客観的に見て、余裕がないようだが……」
「うっせえ……とにかく、できんだよッ……」
しばらく草原に寝転ぶ。葉先は気にならなかった。
心地良い疲労感に包まれ、目蓋が自然と重くなる。
このまま眠りにつけそうだが、もし本当に「背徳の炎」に会った場合の事を鑑みて、イノはレイヴンに顔だけ向けた。
「そんなに……『背徳の炎』に会いたくねえなら……見張りしろよ……」
「……言われなくとも……そうする……貴様であれば、勝手にほっつき歩くだろうからな……」
レイヴンは上半身だけを起こし、辺りを見渡せるような姿勢をつくる。
深いため息が、静かな草原にやけに響いた。


数十分も経たない頃に、イノは眠りに落ちた。
規則的な寝息を立てて熟睡しており、心地良さそうにしている。
重い目蓋を必死に開けているレイヴンはそんな彼女を見て一瞬だけ殺意を覚えたが、このような女郎だろうと「あの御方」は必要としているのだから、と自分を鎮めた。
それから、眠気から逃れるために、おもむろに針を取り出して脚に刺す。
微弱ながらも確かな痛覚に、意識が覚醒した。
一時的な役目を果たした針をしまい、長く細く息を吐く。
そういえば、ミニオンを見張りにしても良かったと今頃になって気づいた。
しかし、眠気は去ってしまった。また眠くなってきた頃に見張りにしようと思い、レイヴンはふとイノに目を留める。
今でも幸せそうに寝ている。こうしている間だけは、生意気な態度は見せようとはしない。当たり前だが。
いつも寝ていれば良いのだが、と小さく愚痴り、イノの様子をじっと見つめる。
「……んっ……」
寒そうにぶるっ、とイノが震え、身を縮こませる。
夜風に露出した肌が晒されているのだから仕方がない。レイヴンはやれやれと首を振り、荷物からマントを取り出しイノにかけた。
「…………」
そうすると、イノはマントを小さく握り、穏やかな笑顔を浮かべる。
そのわずかな表情の変化に、レイヴンはなぜか目を奪われた。
じっと、そのまま見つめる。変化はない。
「…………」
黙って、レイヴンはイノに近づく。
「……本当に、寝ている時だけは生意気じゃあないな」
苦笑し、彼は彼女に顔を近づける。
目を伏せ、ゆっくりと近づく。時間をただただ消費して、距離は次第にせばまっていく。
その時。
「……くっ……」
イノが、ぴくりと痙攣する。
気づかれたかと思い、レイヴンの動きが硬直する。が、イノは動かない。
……いや、よく見ると規則正しく吐いていた息が、不自然に早くなっている。それに、頬が少しばかり紅潮している。
気づいているのに寝たふりをするイノから、レイヴンが離れる。
自然に微笑が浮かび、それから、つぶやく。
「……私が、お前の思い通りに動くと思っていたか?」
微笑を苦笑に変えて、レイヴンは続けた。
「口付けをしようなどと、本当に思っていたのか?」



気づけば、日はもう昇っていた。
結局あの時から一睡もしていない。
あの時――。
「あーっ、クソ……」
思い出すだけでもこっ恥ずかしくなる。
柄にもない事をしたと後悔するも、その奥には淡い喜びが隠れていた。
それを自覚している。だからこそ、恥ずかしい。
自分を軽く打ち、その事を記憶から掻き消そうと必死になった。
でなければ、顔に出る。
「……ククッ」
いや、もう出ていたらしい。
隣にいたレイヴンが頬を紅潮させるイノを笑い、更に赤くなるイノは躍起になって拳を振り上げた。
「テメェ! なにがおかしい!」
「いや、別に何も。ただ……」
「ただ?」
「お前も可愛い所があるな、と」
「――テメェ、絶対殺す! 今のに鳥肌が立ったぞ!
つか、真顔でンなコト言うな! 気味が悪ぃ! 冗談でも本っ当に気持ち悪ぃぞ! 死ね! 変態! バカ!」
涙目にさえなっているイノを見て、レイヴンが笑い始める。
混乱した怒声と楽しそうな笑い声が、早朝の澄んだ空に落ちていった。

Ungreenhorn can't bleed

生成途中のヴァレンタインとレイヴンの短い話
針で突けば即座に割れる風船。
それが、この緊張の空気を形容する選択肢の一つだった。
悲しき時計の針と、風船を有していた者。
彼等は対峙し、ただ空間を沈黙に保っていた。
その安定を突き裂いたのは、低い声。
「――遺言はあるか?」
答えは分かっている。
「無いよ」
残せるような意志は、「それ」にはない。
ヴァレンタイン。
「慈悲なき啓示」の落し子であり、目的のために感情を削ぎ落とされた人形。
例え消滅しようとも、源を断たなければ何人も、あるいは何万も何億も出現する可能性のある危険因子。
その危険をなるべく減らすために、レイヴンはバックヤードを練り歩いていた。
実際に見つけたのは、歩き始めてから体感的に何百日も経った今この時である。
ようやく成果が実ったという充実、やっと現れたかという呆れ、主の行いを妨げるという怒りは一切、ない。
胸に存在するのは、日常という苦行を耐えるための虚無だけだ。
渇いた喉が続きを発する。
「『慈悲なき啓示』はどこにいる?」
「お母さんのこと?」
「そうだ」
「知らない。
あなたは、お母さんの邪魔をする人?」
「そうだ」
「んー、そうか。ならあなたは障害だ。ならヴァレンタインが排除しないと。
でも今は駄目だ。体が形成されていない。どうしよう。んー、んー、んー」
右手の人差し指を唇に当てて、ヴァレンタインが首を傾げる。
彼女は形成途中だった。具体的に言えば、まだ体の半分がバックヤードで存在の是非にかけられている。恐らく、今まさに腹部から下の存在の非の可能性を「慈悲なき啓示」が悉く破棄しているのだろう。そしてこれも恐らくだが、それは徒労に終わるのだろう。
――器と魂の形成を同時進行しているのか……、随分と急いでいるな。
思い浮かんだ感想を、報告の間にでも申して主からの意見を乞おうと判断し、レイヴンは枯れ枝の指に装着された細長い針をヴァレンタインに向ける。
すると、彼女は今まで傾げていた首を反対方向に傾げ、奇妙な事を発言した。
「変だな。
私が裸なのに、あなたの鼻から血が出ない」
「……は?」
ぴくり、と全身が不審に震える。針も共に震え、その針先が示す無表情な顔が再び動く。
「『じょうしきてきにかんがえてどばどばでる』のに、何であなたは違うんだろう?」
――まあ、確かに、彼女は裸ではある。
腹部から下が欠けていたり、頭から触覚が生えているという点を加味しなければ、まったく健常な女性の裸体だ。
整えられた顔。赤茶色の髪と合わせのような瞳。柔そうで温かな肌。繊細に創られた首筋と肩。豊かな曲線を描く胸部。
そんな彼女を見て、今日び鼻血を噴くような者はいないだろうが、紅顔する程度の男性は多くいるだろう。
が、あいにくレイヴンには耐性がついている。好んでついた訳ではない。――あの痴女が恥も外聞もなく晒け出すのは、今でも正直止めてもらいたい。「あの御方」に有害過ぎる。
大方の男性諸君には羨ましいビジョンが脳裏によぎる。彼は精神を蝕む病の如き「それ」に対して渋面を作った。
このまま頭を抱えたいが、実体のない精神的害悪よりも目の前の敵をまず先に始末しなくてはいけない。
指が猛禽類の足指と同じ型をとる。銀色の爪は殺意と同質の輝きを照る。
一瞬の静寂。
それを破ったのは、無慈悲にも可愛らしい声だった。
「あなたは何で『おれのよめ』って言わないの?」

今度こそ、レイヴンは頭を抱えた。
  1. Hawk's nail
  2. Servant's Servant
  3. 嵐の陽 おまけ
  4. 千と十七の夜
  5. Ungreenhorn can't bleed